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仕組みとアプローチ -   白頭山の噴火と日本の大地震を考える そして大阪府北部地震と北海道胆振東部地震

2019-04-18 19:43:06 | 地震 津波
 今回の記事は前回の続きです。
 白頭山の噴火が仮に発生する場合に気になるのは日本国内の地震です。
 それで過去に発生したと言われる白頭山の噴火についてその年代周辺での日本国内の地震について調べて見ました。
 対象となる噴火は893年、 917年、946年、1413年、1597年、1668年、1702年ですが、ほぼ間違い無いのは946年と1597年の噴火と思われます。
 ただそれも100%と言うわけではないようです。

引用開始(一部抜粋)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)

887年
7月29日(8月2日)(仁和3年7月6日) 京都で地震 - M6.5(『日本三代実録』)。越後西部で津波による溺死者は1000人にのぼったとされる※。
8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 信濃北部地震 ※ - 『扶桑略記』の山崩れ・洪水の記述から今村明恒が唱える。河内晋平が日付の誤記があり存在しない地震であると指摘し[51][52]、その見方が強い[53]。
8月22日(8月26日)(仁和3年7月30日) 仁和地震(南海トラフ全域が震源域とする説あり) - M8 - 8.5、五畿七道諸国大震、京都・摂津を中心に死者多数。津波あり(『日本三代実録』)。南海道沖の地震の記録だが地質調査によればほぼ同時期に東海道沖も震源域となった可能性あり。津波堆積物からM9クラスであったとする説もある(津波堆積物は仁和地震と特定はされていない)[54]。石橋克彦は、この地震によって八ヶ岳が山体崩壊を起こし、形成された堰止湖が888年6月20日(仁和4年5月8日)に決壊したとの仮説を唱えた[53]。

(中略)

10世紀
938年5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震 - M7、死者あり。高野山でも建物損壊。その後も余震が多く、8月6日に大きな余震。
976年7月17日(7月22日)(天延4年6月18日) 山城・近江地震 - M6.7以上、死者50人以上。

(中略)

1408年1月12日(1月21日)(応永14年12月14日) 応永地震 - M7 - 8。紀伊・伊勢で地震。熊野本宮の温泉湧出が、80日間止まる※。
1433年10月28日(11月6日)(永享5年9月16日) 相模地震(永享関東地震) - M7以上、死者多数。津波により利根川が逆流[注 8]。

(中略)

1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢・三河で大震(『家忠日記』等)。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M7.8 - 8.1(8クラスの地震と6クラスの地震が接近して立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い[注 10]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2 mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
1596年 以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M7.0 - 7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府-万年山断層帯(べっぷ-はねやま だんそうたい)での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M7 1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島 - 神戸 - 大阪北を走る六甲・淡路島断層帯や有馬-高槻断層帯での地震と考えられている。

(中略)

1662年
6月16日(寛文2年5月1日) 寛文近江・若狭地震(寛文地震)(畿内・丹後・東海西部地震、寛文の琵琶湖西岸地震、近江・山城地震) - M7 1⁄4 - 7.6、死者数千人。京都の大仏殿小破。小浜で城の櫓・多門・石垣・蔵の破壊。
10月31日(寛文2年9月20日) 外所地震(日向・大隅地震) - M7 1⁄2 - 7 3⁄4又はM7.2 - 7.5[86]、死者多数。

1664年(尚質王17年) 琉球鳥島で地震、死者があり、海底火山の噴火、津波があった[87]。
1666年2月1日(寛文5年12月27日) 越後高田地震 - M6 3⁄4前後、死者1,400 - 1,500人。
1670年6月22日(寛文10年5月5日) 越後村上地震 - M6 3⁄4前後、死者13人、江戸でも有感。
1671年2月27日(寛文11年1月18日) 紀伊水道沖で地震 - M7.3、畿内、山陽道、南海道で強震、南海道に小津波[88]。

(中略)

1694年6月19日(元禄7年5月27日) 能代地震 - M7.0、陸奥で山崩れなど。死者394人。
1696年11月25日(元禄9年11月1日) - M6.5程度。石巻河口に津波、300隻をさらい、溺死者多数[94]。地震記事は未確認[78]。
1700年4月15日(元禄13年2月26日) 壱岐・対馬地震 - M7.3、石垣・家屋倒壊。福岡・佐賀・長崎でも被害[95]。

18世紀
1703年
12月31日(元禄16年11月23日) 元禄地震(元禄関東地震) - M8.1 - 8.2 (Mw8.1 - 8.5[96])、関東南部に津波。死者6,700人、潰家、流家約28000軒(『楽只堂年録』)(死者20万人とも『鸚鵡籠中記』)。
同日、豊後で地震 - M6.5±1⁄4、元禄地震とほぼ同刻に発生。府内領で潰家273軒、死者1人、由布院でも潰家。

1704年5月27日(宝永元年4月24日) 羽後・陸奥で地震 - M7.0±1⁄4、野代(現能代市周辺)の被害大。死者58人。十二湖を生じた。
1705年5月24日(宝永2年閏4月2日) 阿蘇山付近で地震 - 阿蘇坊で破損多く、死者があった。岡城の石垣が破損。
1707年

10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震(南海トラフ全域が震源域) - M8.4 - 8.6(Mw8.7[97]〜9.3[98][99])、死者4,900 - 2万人以上、倒潰・流出家屋6万 - 8万軒。関東から九州までの太平洋岸に津波、東海道宿場町・伊豆・伊勢・紀伊・阿波・土佐沿岸各地が亡所となるなど大きな被害(『楽只堂年録』、『谷陵記』)。地震から49日後に富士山の宝永大噴火。道後温泉の湧出が数か月間止まる。
10月29日(宝永4年10月5日) 宝永富士宮地震 - 富士宮で地震、M7.0、宝永地震の16時間後、明朝に発生、東海道宿場町で家屋倒壊など被害。村山浅間神社および社領の家が残らず潰れ、村山で死者4人(『楽只堂年録』)。宝永地震の最大余震[100]。
11月21日(宝永4年10月28日) 周防・長門で地震 - M4.5、上徳地村で潰家289、死者3人(『毛利十一代史』)。

1708年2月13日(宝永5年1月22日) 紀伊半島沖で地震 - M7クラス[101]、紀伊、伊勢で津波。山田吹上町、一本木に及び、宮川堤防が破れた。宝永地震の余震と推定される。

引用終了

 白頭山の噴火と言われる年代のグループ間に(中略)が入っています。
 これでわかるのはまず887年の仁和地震や1707年の宝永地震、その他も含めて南海トラフ地震と思われるものが多いようですが、この点は既に指摘されている事が多いようです。
 もう一つは1433年の相模地震(永享関東地震)や1703年の元禄地震と言う相模トラフやその延長上の地震です。
 これについても既に指摘されている事もあるようです。
 そして個人的に気になるのは近畿、北陸、中部と言うエリアや経度がこのエリアで有る海域で大地震が発生している点です。
 該当するものは次の通り。
 887年
7月29日(8月2日)(仁和3年7月6日) 京都で地震、信濃北部地震。

 938年5月17日(5月22日)(承平8年4月15日) 京都などで地震
 976年7月17日(7月22日)(天延4年6月18日) 山城・近江地震

 1408年1月12日(1月21日)(応永14年12月14日) 応永地震

 1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢・三河で大震
 1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震

 1662年
6月16日(寛文2年5月1日) 寛文近江・若狭地震(寛文地震)
 1671年2月27日(寛文11年1月18日) 紀伊水道沖で地震

 1708年2月13日(宝永5年1月22日) 紀伊半島沖で地震

 中には南海トラフ関連と思われるものも有りますが、経度の観点で見ると共通したものが有ります。
 そしてこれが何を意味するかと言うと以前の当ブログ記事の中で書いた、あの深い震源の帯(ほぼ延長線上に白頭山が有る)やそれに近接するエリアで大地震が発生している、と言う事です。
 この深い震源の帯はHi-netでわかります。

引用開始(一部抜粋)

http://www.hinet.bosai.go.jp/hypomap/?ft=1&LANG=ja

日本全国 広域 最新30日間 の震央分布図

引用終了

 画像は直接御覧ください。
 今なら東経134度、北緯22度あたりから東経135度、北緯37.5度あたりをほぼ中心にして青色の深い震源の地震が帯状に発生しているのがわかりますが、このほぼ延長上に白頭山が有ります。(そして今なら東経147度、北緯44度あたりから東経135度、北緯42度あたりを結ぶ延長線上に白頭山が有る、つまりこの二つの帯の交差するあたりが白頭山周辺)。
 つまりこの深い震源のエリアで地震活動が活発な時期はこのエリアやその周辺で浅い震源でも大地震が発生している、と言う事かと考えています。
 そしてこの帯状エリアやその周辺で大地震が多い時は、即ち白頭山でも地殻の動きが活発でそれが噴火、或いは火山性活動の活発化に結びつく、と言う事ではないでしょうか。
 1995年の阪神淡路大震災はやや西にはずれたエリアでしたが、去年発生した大阪府北部地震も北海道胆振東部地震もこの帯に近いものに見えます。
 今後、京都や福井、滋賀、岐阜、愛知、三重、或いはこれらの県に限らずこの帯やその周辺で再度大きな地震が発生するのか、そしてそれは白頭山の噴火の前なのか? 後なのか?と言う点については今後も注目して行こうと思っています。