快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  地震前兆の目安としてカラスの通常でない鳴き声はどうなのか

2020-01-03 18:02:55 | 地震 津波
 カラスが通常と異なる鳴き声をあげるのを地震の前兆とするかどうかについて様々な見方が有るようです。
 これについては個人的な見方に過ぎませんが、有意な差で地震の前兆となっている、と考えています。
 ただしカラスがそれ以外で鳴く割合が低い場合にかぎりますが。
 ではこのロジックがどういうものかと言うとですが、それは二つ有ります。
 一つは前回記事にした通りで、モグラが冬季に活動を活発化させた時にその地表の盛り上がりをカラスが見つけてエサとすべく仲間と連絡を取り合っている鳴き声です。主に日中に起きるのではないでしょうか。
 これがモグラの冬季に於ける一時的活動活発化と関連しているならば、太平洋側での地震と有意な差が有ると思えます。
 そしてもう一つ。
 それは微振動です。
 震度1に満たない微振動でもある程度の微振動が有るとカラスは鳴く事が多いと思っています。
 何故かと言うと、それは自分自身が体験したからです。
 東日本大震災の後、しばらく余震も続きましたが震度1にも満たない微振動もかなり有りました。
 自分が体験したのは2度。
 それは震度1にもならない微振動なのですが、夜中に最初は「地震酔いかな」と思える感じが有って、その直後にカラスが一斉に鳴いたのです。
 はっきりこの耳で聞きました。
 おそらくカラスはこの微振動を感知して仲間に振動の異常を知らせるべく鳴いたのではないでしょうか。
 振動の異常を仲間に知らせる天性が備わっているのは何故か?と言うと、それは例えばトンビや鷹などの天敵が近くにいる時に飛んでいる時の微振動が「振動の異常」となるからではないでしょうか。
 

仕組みとアプローチ -  モグラは地震前兆の目安になるのか

2020-01-03 17:06:58 | 地震 津波
 モグラは地震前兆の目安になるのか?
 結論から言うと(個人的にではありますが)少なくとも冬季に於いては有る程度地震の前兆として目安になる、考えています。
 これは何もかなりの高い確率、と言うものではなく、「かろうじて有意な差が認められる」、という程度と言う程度と考えています。
 実は先日に気がついた事で庭にモグラの後である土の盛り上がりがあちこちに有りました。
 その前、年末ですが近所を歩いていたらモグラがすごいという話をしている人を見かけました。
 そして先日は、
                       Mj   最大震度
 2020年1月3日 3時24分ごろ 千葉県東方沖  5.9     4

が有りました。

 この寒い時期に何か急にモグラが目立つ動きをする、と言うのはいくつかの要因が有るかと思いますが、春並みの一時的温度上昇が有るというのがその一つの理由と見ています。
 冬の寒い間、モグラは餌であるミミズなどを食べる機会が少なくなります。
 一時的にでも暖かい時が来るとここぞとばかりに日頃は低温で活動できない地表近くでミミズなどのエサを探して食べようとするわけです。
 それでモグラの跡が多くなる。
 では一時的な温度上昇が何故地震の前兆となるのか? ですが、それは一時的な温度上昇と言うのは通常湿気を多く伴うものであり雨天曇天になりやすい、という事だからです。
 以前の記事で何度も書きましたが「雨天曇天一過の地震晴れ」です。
 先日の上記地震が発生したのも去年大晦日に千葉市で最高18.5℃、最低7.4℃の後に冷え込んだタイミングであり特に晴れ間のある朝の冷え込みが厳しかった時です。
 それからもう一つ。
 それは温度の急な上昇やその後の下降というのは、西南西など南よりの風から北西など北よりの風に変わった時でもあるのです。
 これが何を意味するかと言うと、それは南寄りの風で海水面が「吹き寄せ」効果で上昇気味となって海洋型地震が抑え気味になった分、その後に北よりの風になって太平洋側の陸地のある程度近い海域は「吹き寄せ」の反対である「吹き出し」の状況となり、どちらかと言えば海水面は低下します。
 それで高い海水面で押さえられていた地殻やプレート境界で蓄えられていた歪(ストレス)が海水面の低下でストレス発散となって目立つ地震となった。
 「こうしたパターンになる事はならない事よりも、少なくとも冬季に於いては有意な差で多い」と考えています。
 
 

仕組みとアプローチ -  鉄砲三段撃ちと明智光秀は関連性が有った、と筆者が見る理由  その12

2020-01-03 08:58:55 | 明智光秀
 長篠の戦いで使われたとされる鉄砲三段撃ちについてですが、次のような手法も或いは有ったのかも知れないと思いましたので記事にして見ました。
 鉄砲三段撃ちの1段目、2段目は主として合図(但し迎撃の意味が全く無くもなかった)、そして3段目が一斉射撃、と言うのはこれまで記事で書いて来た通りですが、この時間的間隔について、結構短かったケースも有ったのかも知れません。
 例えばですが、1段目、2段目、3段目の間隔はそれぞれ6秒。この位だと一斉射撃の射撃手、或いは狙撃手らにとっては合図の間隔としてとらえやすい。
 そうすると1セットで18秒ですが、次のセットまでの間隔を仮に12秒としてそれも含めれば30秒。
 これだと3セットで90秒となり、合図のチーム以外が3段目で一斉射撃するのに都合が良い間隔となったのではないでしょうか。
 何故かと言うと当時の火縄銃はかなり慣れた人で1分間に3発、普通なら1分間に1発位が限度だったからです。
 余裕をややとって上記の三段撃ち合図に合わせる場合、慣れた射撃手は1セット毎に1回撃て、慣れてない射撃手でも3セットの合図で1回は余裕で撃てる事になります。
 合図を主とする射撃が6秒に1回、一斉射撃が30秒に一回と言うとかなりの総射撃となったはずで、更に一斉射撃の時の轟音で織田勢の鉄砲総数が武田軍にとって把握しにくいものであった場合、想定外の鉄砲数で有る事がわからなければ武田勢は無謀な突撃を実行し、更に煙で遠くが見えにくくなっていて味方がバタバタと倒れる状況が把握できずに次の突撃をしてそれも撃たれたのかも知れません。
 最前線の馬防柵で最初の迎撃を鉄砲でした意味とは、そこで煙が立ち込めて武田軍は味方がその先でバタバタと倒れる状況を把握できず、かなり織田の陣営に攻め込めたと勘違いして次の突撃部隊を送り込んでしまった事も有ったと思えます。
 以前の記事で書いた「三段の馬防柵での射撃だったから鉄砲の三段撃ち」のもう一つの効果でしょうか。
 いずれにしても鉄砲の総数がそれまでに無い多さで有った事に関しては、明智光秀がその調達に関係していたとする史料が有り、そして雑賀衆が既に通常の三段撃ちを実施していた事については明智光秀が畿内方面の総司令官だった事から、この圧倒的な数の火縄銃をどう有効に使うかについて明智光秀も含めた重臣らが信長と策を練ったものと考えています。