今月5日に記事、サブタイトル「天海と上総土岐氏、そして浮世絵や徳川幕府の関連性を示すお寺が千葉県に現存しています」で書いた行元寺(上総土岐氏の祈願寺)ですが、ここに「波を彫らせては天下一」と言われた波の伊八(本名を武志伊八郎信由)の彫刻が残っています。
葛飾北斎の『神奈川沖浪裏図』については「北斎が実際の波をアニメ風に表現ながらもどうしてあのようにリアルの描けたのか?」、個人的にずっと不思議でならなかったのですが、「伊八による波の彫刻を見てからそれを絵にした可能性が高い」、と言う多段プロセスが有った事で北斎が成し得た作法の仕組みがわかったような気がします。
ところでこの行元寺ですが、江戸城や増上寺あたりからほぼ南東方向に有ります。
そして上総土岐一族とも天海とも繋がりが有る点で共通しています。
その天海の影響が強いものに東照宮が有り、江戸城や増上寺からほぼ北には日光東照宮、約南西には久能山東照宮、約北西には水戸東照宮が有ります。
そして南東には行元寺、万木城などがあるエリアが該当し、更に「明智重五郎」の名が有る墓が、江戸城と万木城のほぼ中間である千葉県市原市の不入斗に有って、これがおそらく明智光秀の嫡男、明智十五一郎を示すものだろうと言う見方が有るのは以前にも記事にした通りです。
当時は流石に明智十五一郎と露骨に書くわけには行かず、敢えて異なる漢字で間接的に表現したのではないでしょうか。
葛飾北斎の『神奈川沖浪裏図』については「北斎が実際の波をアニメ風に表現ながらもどうしてあのようにリアルの描けたのか?」、個人的にずっと不思議でならなかったのですが、「伊八による波の彫刻を見てからそれを絵にした可能性が高い」、と言う多段プロセスが有った事で北斎が成し得た作法の仕組みがわかったような気がします。
ところでこの行元寺ですが、江戸城や増上寺あたりからほぼ南東方向に有ります。
そして上総土岐一族とも天海とも繋がりが有る点で共通しています。
その天海の影響が強いものに東照宮が有り、江戸城や増上寺からほぼ北には日光東照宮、約南西には久能山東照宮、約北西には水戸東照宮が有ります。
そして南東には行元寺、万木城などがあるエリアが該当し、更に「明智重五郎」の名が有る墓が、江戸城と万木城のほぼ中間である千葉県市原市の不入斗に有って、これがおそらく明智光秀の嫡男、明智十五一郎を示すものだろうと言う見方が有るのは以前にも記事にした通りです。
当時は流石に明智十五一郎と露骨に書くわけには行かず、敢えて異なる漢字で間接的に表現したのではないでしょうか。