快気分析

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仕組みとアプローチ -  明智光秀の土岐一族にはキリシタン武将が殆どいなかったという事実

2020-01-22 18:16:15 | 明智光秀
 明智光秀と言うと娘の細川ガラシャがキリシタンだったと言う事で、それで土岐一族系にもキリシタン武将が結構いるのかと思ってしまうケースが有るのかも知れませんが、「キリシタン武将」などで検索してわかる通り、土岐一族系ではキリシタン武将が殆どいないに等しいようです。
 信長にイエズス会とキリシタンの危険性を進言していたのが土岐一族の光秀だったからなのかどうかはわかりませんが、イエズス会のルイス・フロイスが著書「日本史」に於いて明智光秀の事をあまり良く書いていません。
 一方で「人たらし」である秀吉は少なくとも本能寺の変後しばらくは仏教の朝廷にも、そしてキリシタンのイエズス会にもこのあたりを調整してうまく取り入ったようです。
 

仕組みとアプローチ -  三島暦を強く主張した信長 そして太陽暦を主張しなかったイエズス会

2020-01-22 12:09:24 | 明智光秀
 本能寺の変の前日にこの本能寺で有った茶会では暦の問題についての話し合いが行われたようである事は以前の記事で書きました。
 信長の主張する三島暦だと6月1日は日食が起き、それまで朝廷が採用されていた暦では日食は起きない事になっており、そして当日には実際に日食が有った事がNASAの計算でわかっているようです。
 この日は晴天ではなかったかも知れず、茶会参加者らが日食を確認できたのかどかはわかりませんが、晴れ間の有ったエリアからの情報ですぐ後には日食の事がわかっていたのだと考えらえれます。
 三島暦を採用する事自体はそう悪くもないように思えますが、一方でそれまでの暦が正しくなかった事、つまりいい加減だった事が露呈してしまい、朝廷、特に陰陽を担当する公家は面目丸つぶれとなるわけです。
 信長もこのあたりを考慮してわかってはいても三島暦を主張する事は避けた方が良かったのでしょうが、既に強気になっていたらしい信長は三島暦を主張し朝廷を敵に回したのだとしたら、石見銀山を信長の織田家が制圧した場合、その利益はおそらく朝廷に従来程は納められないだろう、と公家衆は考えていたのではないでしょうか。
 それならば毛利家に管理を任しておいた方が良いわけです。
 そしてイエズス会のヨーロッパは当時において太陽暦だったのですが、だからと言って太陽暦を持ち出すような事はしていません。
 やがては太陽暦にする気は有ったのかも知れませんが、当時の時点でその動きは全く無く、当分は刺激するのを避けたのではないかと思えるのですが、これが朝廷がイエズス会を信長よりはマシかと思わせる要因となっていた可能性は十分有ったと見ています。
 朝廷はキリシタンを警戒してはいたようですが、しかし信長が三島暦を持ちだすとなると朝廷、特に公家衆らは「それならイエズス会の方が目先に限っては安心か」と思えて来たのではないでしょうか。
 その証拠になるかどうかはわかりませんが、秀吉は清須会議以降から伴天連追放令までの暫くの間、キリシタンを支援しているのに朝廷からは重宝されています。
 朝廷、イエズス会、仏教勢力、毛利氏を中心とする反信長ネットワークに明智光秀は巻き込まれたのでしょうか。