快気分析

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仕組みとアプローチ -  明智光秀と佐久間信盛 そして信長による比叡山焼き討ち

2020-01-21 17:49:23 | 明智光秀
 江戸時代以前の史料が必ずしも真実を伝えているとは限らないのですが、信長による比叡山焼き討ちに関して「甫庵信長記」では佐久間信盛と武井夕庵らが止めた方が良い旨の進言をしたとされているようですが、その一方で明智光秀が反対した事は書かれておらず、更に明智光秀がその後に光秀に近江国滋賀郡が与えられ、坂本の町に坂本城が築城された事から見てどうも明智光秀は比叡山焼き討ちに関して佐久間信盛らのようなレベルで反対姿勢を取らなかったものと思われます。
 この時に反対意見を進言した佐久間信盛はその後に高野山攻めを任されたものの、おそらく比叡山焼き討ちで反対だった事と同じで乗り気でなかったのでしょうね。
 何か決め手に欠く攻撃で殆ど戦果をあげずにいたので信長から疑いの目で見られ、そしてやがて追放されてしまいますが、それに代わって「信長による首のすげ替え」の如く畿内総指揮官に任命されたのが明智光秀でした。仏教の総本山と言えども躊躇せずに仏教総本山の攻撃、粛清を実行できると信長から評価されていたのでしょうか。
 その明智光秀も本能寺の変の頃には既にもう引退したいと思っていたような史料も有るようです。
 イエズス会に従うわけではなく、かと言って仏教勢力に従うわけではない、そして、かと言って朝廷に従うと言うわけではない、「我(信長様)は神である」などと言う信長の思想が周囲にわかって来れば、やがて反信長ネットワークが構成され、そして信長のセキュリティが甘い所を狙って誰でも襲撃する事になるのはごく自然であり、安国寺恵瓊の予言とはやや遅れてはいても「信長は高転びに転んだ」のでした。


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