快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -   バヌアツMw6.2の地震発生

2019-03-21 18:43:37 | 地震 津波
 バヌアツMw6.2の地震が発生しました。
 今月18日以降、世界で発生したMw5以上の地震はEMSCで次の通りです。

引用開始(一部抜粋)

https://www.emsc-csem.org/Earthquake/?filter=yes

2019-03-21 09:15:38.0
22min ago
7.89 S 31.96 E 2 5.1 LAKE RUKWA REGION, TANZANIA
2019-03-20 19:13:03.1 15.16 N 44.90 W 10 5.0 NORTHERN MID-ATLANTIC RIDGE
2019-03-20 19:03:01.9 17.75 S 172.70 W 10 5.4 TONGA REGION
2019-03-20 16:23:22.1 2.79 S 77.35 W 32 5.1 PERU-ECUADOR BORDER REGION
2019-03-20 15:24:00.1 15.61 S 167.68 E 134 6.2 VANUATU
2019-03-20 09:56:40.9 45.35 N 0.35 W 2 5.0 FRANCE
2019-03-20 06:34:28.8 37.43 N 29.44 E 11 5.7 WESTERN TURKEY
2019-03-19 04:20:29.0 15.35 S 167.48 E 141 5.0 VANUATU
2019-03-19 03:26:28.2 54.31 S 7.95 E 10 5.1 BOUVET ISLAND REGION
2019-03-18 15:07:15.8 31.78 S 177.54 W 10 5.0 KERMADEC ISLANDS REGION
2019-03-18 14:30:21.8 31.81 S 177.69 W 10 5.2 KERMADEC ISLANDS REGION

引用終了

 フランスでMw5.0以上と言うのはEMSCのデータ開始以来今回が始めてのようです。
 全体に掴みどころの無い感じがしますが環太平洋西側の北半球、特に中緯度以北は今後どうなるでしょうか。

仕組みとアプローチ -   本能寺の変 イエズス会に関係する3人が信長と共に当時宿泊していながらいずれも無傷

2019-03-17 18:41:47 | 明智光秀
 以前にも記事にしましたが、本能寺に宿泊していたのは信長の家臣らと将棋指し以外では茶人であり商人であった島井宗室と神屋宗湛でした。
 二人共に博多の豪商だったのですが当時博多を含む領域を支配したいたのは大友宗麟、そしてその大友宗麟はキリシタン武将の代表格でした。
 これだけでもこの二人の豪商、茶人がイエズス会の恩恵を受けて事業をしているのは明らかなのですが、仮に大友宗麟と関連がそれ程深く無くても当時の状況では貿易などは特にイエズス会と上手くやっていかなければ成り立つわけは無いはずだったと見ています。
 つまり本能寺の変の当日、本能寺に宿泊していたのはイエズス会の利権に背かない二人の豪商だった事になります。
 大友氏がいくら信長に接近していたからと言っても当時の信長が自身についてキリストを超える存在として神格化し始めていた状況では大友氏、博多商人共に腹の底から信長を支援しようとしていたとは思えません。
 そしてもう一人、信長の小姓として仕えていたアフリカ系の弥助も元々イエズス会が連れて来た人物でした。
 信長の昔からの家臣と将棋指し以外ではこの3人が該当するわけで、本物の信長が本能寺に宿泊しているのを知っていたのは前日の茶会に主席していた公家衆ら以外ではイエズス会関係者となります。
 そしてこの3人は本能寺の変では無傷でした。
 いくら何でも討たれた家臣らでイエズス会に関係の深い者はおらず、逆に上記の3人共に無傷と言うのは通常では有り得ない。
 襲撃部隊にイエズス会のコントロールがかけられていたとしか思えません。

仕組みとアプローチ -   今日は長潮 そして熊本地震発生から2年11ヶ月を過ぎました

2019-03-17 00:33:06 | 地震 津波
 今日は長潮。
 今月21日の満月は年間最大では有りませんがそれに準じる大きな満月です。
 そして2016年4月に発生した熊本地震から2年11ヶ月が過ぎました。
 これまで何度も記事で書いているあのエリアに於けるMw7以上の地震空白期は、熊本地震を最後に既に2年11ヶ月以上続いている事になります。
 カムチャッカでは火山噴火が活発と言うのに、千島列島やその周辺海域ではMw7以上の地震も噴火も暫く無いのはやや気になりますが、では千島列島以外で気にならないエリアが全く無いのかと言うとそうでもないわけで果たしてこの2年11ヶ月以上の空白期間を終了させるのは果たしてどのエリアなのでしょう。
 
 

仕組みとアプローチ -   本能寺の変 信長の判断における矛盾と油断

2019-03-15 00:12:54 | 明智光秀
 信長が本能寺の変で落命した経緯ですが、よく調べるとそれなりの要因を信長自身が撒いていたと思われる事象が存在します。
 その一つは高山右近に関連する事。
 当時の状況ではキリシタン武将の代表格である高山右近が信長を襲撃しないと言う事はまず有り得ないはずだったはずと考えられるのです。
 その理由として以前の記事で書いた通りで荒木村重の乱の時に信長がキリシタン勢に対して恐喝を始めた事でキリシタン保護の為、高山右近が信長に寝返った事で信長勝利となったわけでその時にイエズス会とキリシタン勢力は妥協を装いながらも実は信長をブラックリスト筆頭に載せた可能性は大きく、更にそれだけでは有りません。
 我こそが神であるかのような振舞いを始めた信長の安土城の天守がセミナリヲを見下す高さであった事は、高山右近には受け付けられない事だったはずだと思うのです。
 高山右近が領地とかの金品とかの見返りと関係無しに信仰心優先で判断するという事を信長自身も知っていたからこそ荒木村重勢殲滅に使ったと言うわけですから、そのロジックならば安土城の天主をセミナリヲを見下す高さに造ってはいけなかったはずなのにそれを実行したのです。
 更に仮にそれを強行してしまったならば高山右近は危険視して遠くの領主にするか、監視しなければいけないのにそれもしなかったようです。
 起こるべくして起きた「本能寺の変」。
 

仕組みとアプローチ -   本能寺の変 事象分析をするとやはり秀吉は怪しい

2019-03-13 12:46:10 | 明智光秀
 本能寺の変のすぐ後で「中国おお返し」を決行し山崎の戦いで明智光秀に勝利した秀吉ですが、これまでの記事で書いた事象などを再度見直すと次の通りとなります。

 まず仮に秀吉が信長の死を知らなかったたとしたら信長に無断で勝手に和睦する事など厳罰に値するわけで、そのようなハイリスクな事を秀吉が行うはずは有りません。
 従って秀吉が毛利氏と密約の上で戦の仮中断をした後で正式に和睦した事になる。つまり毛利氏と共謀関係にあった事になります。
 次に仮に和睦が密約でなかったとした場合、秀吉が信長の死を知っていたから、と言う事になってしまいます。(信長も信忠も落命していたので秀吉に毛利氏との和睦を指示した事は有り得ない。)
 だとしたら襲撃部隊はかなり秀吉の側の人間が深くかかわっていた為、信長も信忠も落命した事が確実にわかったという事になります。
 そして信長が死んで更に首はもう出て来ない事がわかっていたからこそ、中国おお返しで「信長様は生きておられる」と偽情報を流布出来た事になります。
 この点からもやはり信長を襲撃した部隊はかなり秀吉の側の人間が深くかかわっていたと思わざるを得ません。
 簡単にまとめると秀吉は信長、信忠が落命してたのかどうかわからなかったのなら、毛利氏との密約で信長が生きていれば和睦は無かった事にするてはずであったわけで既に癒着、共謀関係に有った事になるし、反対に秀吉が信長、信忠の落命を確実に知っていたのだとしたら、本能寺の変の襲撃部隊と深く関わっていた事になります。

 事象分析すると自然とこうなりますが、では秀吉に暗に連携して信長、信忠を討った部隊に潜入していたのは誰の兵か?
 個人的な見方に過ぎませんし襲撃部隊は単一の黒幕ではなく多くの反信長勢力がかかわっていたとは思われますが、少なくともその一部にはやはり秀吉との内誓紙が残る中川清秀とその親族の高山右近あたりが該当する事が浮かんで来ます。
 実際に中川清秀の居た茨木城は京都にかなり近かった事、当時は明智光秀の与力であった為、明智軍に偽装する事も有る程度可能で有った事が挙げられます。
 真相はどうだったのでしょうか。
 この中川清秀は賤ヶ岳の戦いで危険な所に位置取りさせられ、佐久間盛政の猛攻に遭って戦死したのでした。
 秀吉が本能寺の変のキーマンである中川清秀を危険な配置につけて口封じに戦死させたのではないか?と言う疑いも出て来ます。
 桶狭間の戦いで戦場となったエリアの領主は水野信元でしたが、やがて信長の命令で家康の家臣により暗殺されました。
 桶狭間の戦いの真相を知るキーマン、水野信元が口封じに消されたのだとしたら中川清秀と似たパターンとなりますが、真相はどうだったのでしょう。