この絵は、10分ぐらいで描いてしまった「いたずら描き」。
イラストとも思える絵ですが、なんかオシャレな感じが気に入り、紹介することにしました。
この秋、ヒロクニさんは急に意欲的にJAZZを聴く意欲に走り、
中古CD屋に足繁く通い、すでに3枚のCDを買った。
その後に、すぐしてしまったドローイングであります。
「アネモネ珈琲」という題の絵にも似ています。
1枚目は、フリーJAZZを購入。
家で久々に聴いたフリーJAZZを聴くヒロクニさんを横目に「気合がはいっているなぁ~」。と感心し、
2枚目に買ってきたCDは、下のCD。
ディジー・ガレスピー&ザ・ダブル・シックス・オブ・パリ | |
ディジー・ガレスピー | |
ユニバーサル ミュージック |
↑クリックすると試聴できます。
これは、私は聴いたことがなくオシャレな感じで、フランスでレコーディングされたものらしい。
ちょっと変わっている?とも思いました。
ヒロクニさんは「精神が広がるなぁ~」と言い、
「ああ、この眠った町!」と宝塚への非難をしながら、この音楽に酔いしれるのでした。
まあ、確かに宝塚市はやや田舎で、人もおっとりしているし、平和な感じなので、
いえているのですが・・・・。
ヒロクニさんは、神戸の街育ちなので、なんか空気が肌にあわないのがよくわかる私なんですけど。
神戸へ行けばもう庭みたいなものらしく、縦横無尽に歩き、
「ああ、俺の街!」と叫び、まとわりつく浜風に身をまかす。
離れた所に住んでいるせいか、いっそう「ああ、俺の街!」というセリフを言う。
(私の前で・・・、キザなセリフも真面目に普通に言える夫であります)
「俺の女」というタイトルの絵もあり、時々クスクス笑いながら
「このタイトルやめたほうがいいんちがう?」クスクス、
「せっかくの絵がこのタイトルだとちょっと・・・・」クスクスと、
個展の時に静かに私に教えて下さった方もいた。
「俺の・・・・」という言葉はよく頻繁に使う。
ラブレターのような日記のようなものを会った当初、ドバッと送られたことがあるが、
勝手に「俺のサホリうんぬん」と書いてあり、いつ俺のもんになったんじゃ!と、
反撃に出たこともあったが、ヒロクニさんのいう通り「俺の妻になってしまった」。
そして、25年の歳月で「俺のお母ちゃん」に変わってしまい、なんだか世話役に・・・。
これからも「俺の絵画」「俺の愛するもの」「俺の芸術」と
「俺の・・・・」はヒロクニさんならではの愛情表現。
「俺の・・・・」と言う言葉には愛があるっていうことですね。
葉の浮いたような言葉を普通に言えるヒロクニさんによくとまどった事をよく思い出します。
この絵は同じ時期に描いたものですが、このドローイングはちょっと趣向が違う。
しかし、やっぱり音楽を感じる絵です。
この絵は、自身が営業していたVOXヒコーキ堂のことをちょっと思いだして描かれています。
そういう時間の流れがあって、今日は神戸からのお客様が来客。
「この絵、いいなぁ~」と。
「もう一枚の絵も、これもいいなぁ~」と。
なんか、JAZZを聴いて、カラッとした作風をここ2、3日の間に描いたヒロクニさんです。
身体と脳が音楽に対しては、スポンジみたいに吸収するのかしらん?
三枚目は、ビル・エバンス。
私は知らない間に、名曲ばかり聴いているのかもしれません。
あまり音楽に詳しくなくても、あれれ~~?これは、いまいちかも?と、
何か差を感じることがちょっとだけあるのです。
質をかぎ分けられる時が時々あるのです。
これって、ヒロクニさんからの教育が実ってるってことか?
庭はすっかり秋。
春へ向けての準備に入ります。
土の再生や、球根を植える準備、秋まきの種をまいたり。
ビオラの芽をポットに分けたり、そして育苗します。
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妻は別のブログも書いています。
「さほりさんの自虐史観からの脱却」というブログです。
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