首都圏の辺境のこの辺りは、農村として残るが、我々と同世代は、首都圏などに通勤する会社員になっていたりする。だから、田畑を世話するのは、おじいちゃんとおばあちゃん。それで、大河T川と、その水系のI沼に挟まれたこの地域は、里山地区を除けば、一面の田んぼ。そして、品種改良されてきた現代の稲は、早い時期から、植え付けられて、味も良い優れものだ。しかも、田んぼの水利が、完璧に出来上がっているから、雨の多い梅雨時に植え付ける必要などない。それで、会社員の息子の人手があるGW頃には、田植えを、息子運転の田植え機で、済ましてしまう。
恐らく、GW明けで、梅雨時前の、少し暑いくらいの、でも気持ちの良い晴れた休みの日だったのだと思う。サッカー少年だった息子たちが一緒だったから、練習に行く前の、早い朝だったのだろう。
田んぼ道の散歩は、どんどんと、距離が伸びて行った。しろは、前にも書いたが、紀州犬風で、巻き尾の日本犬の雑種だった。まあ、巻き尾は、貰ってきた頃は、垂れていて、可愛かったが、成長とともに、巻いてしまった。ちょっと、残念だった。ただ、口吻が長いのと、良く見ると背中が弓なりになっているのが、日本犬らしくない特徴だった。特に、弓なりの背中は、グレイハウンドや、ボルゾイのような、ドッグレース犬のような体型に、似ていた。ちょっと、贔屓目に過ぎるのだろうが。ただ、俊足で、スタミナも、かなりあったのは、間違いない。
最初は、分譲住宅地内だけだった散歩が、すぐに、外にも出るようになった。やがて、田んぼ道が、定番になった。それも、2、3kmから、5、6kmまで、どんどん長くなっていった。その日も、気持ちの良い初夏の朝の陽気に、思わず距離が、伸びて行った。
くんくん。あっちへ。くんくん。こっちへ。不思議なもので、犬は、他の動物も気にするが、特に同族の犬を、気にする。それも、排泄物。おしっこのマーキングだけではなく、こんもりも含めて、その臭いが、縄張りと言うことになる。だから、その臭いを、くんくん追って、自分のおしっこや、こんもりで、上書きして行く。田んぼ道だから、我が家も、おしっこはそのまま。こんもりは、スコップで、土に埋めてしまっていた。モラルが足りなくて、ごめんなさい。もちろん、やがて、ポリ袋で回収し、電柱には、ペットボトルの水で。流すようになりました。
その日は、今までにない新たな道に入って行った。町の中心から、少し離れた我が住宅地から、町の中心の住宅地へ。その入り口に、広い公園がある。あまり、人影がないから、あそこで、一度思いっきり走らせてみたい。片道2km以上。しろは、新しい道に入っても、くんくん。あっち。くんくん。こっち。しゃーっ、と上書きして行く。新参者でも、関係なく、図々しく。
公園に着いた。下道から、階段を登る。広い芝生の公園。よし、誰も、いない。放してみよう。子どもたちも、大喜び。今日は、ずっと自分が、リードを握ってきた。子どもたちは、時々、しろを構いながらも、ふざけ合って、付いて来ていた。よしっ、追っかけっこだな。リードを放す。いきなり!しろ、全力疾走。足自慢の子どもたちも、太刀打ち出来ない。
まあ、人もいない。少し、自由にさせるか。しろは、止まることなく、全力疾走。あっちから、こっち。それが、格好良い。本当に、競争犬のような、ダイナミックで、美しいフォーム。親馬鹿の身贔屓は、ちょっと入っているが。あっ、止まった。さあ、そろそろだ。捕まえよう。子どもたちが、先頭に立って追い掛ける。しろ、また、全力疾走。逃げる。逃げる、逃げる。子どもたち、追いつかない。中年太りの親父など、話にならない。困ったなあ。
人が、来たら、どうしよう。失敗した。追えば、逃げる。やめれば、止まって、近づいてくる。で、捕まえようと。また、全力疾走。逃げる。疲れを知らない。やはり、人間より、犬の方が、足が早い。中年太りの親父は、息も絶え絶え。息子たちも、疲れ切った。
取り敢えず、ベンチに座る。様子を見る。近寄ってくる、しろ。また、追っても、同じだ。人間様も、少し、あたまを使った。もう、出口の階段の方に、下りていってしまう。人間が見えなくなると、さすがに、しろも不安。追ってくる。広い階段で、自分と子どもたちと、ちょっと二手に。追って来たしろ。子どもに気を取られる。よしっ、捕まえた!
長い散歩になってしまった。帰り道、親父は、息も絶えながら。しろは、元気いっぱい。あっち、くんくん。こっち、くんくん。息子たちも、さすがだ。復活。サッカーの練習は、ちょっと心配だが。