日記、日々の想い 

子どもの頃の恐怖体験物語-1

オカルト話ではない。テレビの全国ニュースとか、新聞の全国版の社会面に乗るような世間を騒がせた事件に巻き込まれた話だ。小学校五年生の時だった。その頃、休みの日に、決まった仲の良い友だちと二人で、近くの里山に遊びに行くことを、一番の楽しみにしていた。里山と言っても、峰々が、幾重にも連なっていて、標高160mから、180m以上はあるちょっとした山地を歩く。K山塊と名付けられていた。自分は行けなかったのだが、一番奥の最高峰は、200m以上あった。更に、やがて県の屋根とも言える1500m級のT山地にも連なる。だから、子どもの足で、あちこちとコースを辿れば、丸一日の山歩きを、飽きることなく、何度でも楽しめたのだ。
 その日は、平日だったが、小学校の創立記念日だった。朝、より山塊に近い自分の家に友だちが迎えに来てくれる。母におにぎりを二つ握って貰って、リュックサックに水筒と一緒に詰めた。まだ、缶飲料などはない時代だ。当然、自販機もない。
 実家は、新築して引っ越して数年で、海岸地区の高台にあった。しかし、山塊の登山道の入り口は隣町にあって、一つ川を渡らなければならない。しかも、海岸側に下って、迂回して行く経路が、結局一番近い。その川の河口には、新春恒例の伝統の大学駅伝の中継地があって、そこには、必ず全国ネットのテレビに映る橋が掛かっている。ただ、自分たちが渡る橋は、一つ上流にあって、当時は、粗末な土橋だった。自宅のある高台からは、海岸に向かって、広々と新興住宅地が広がっていて、海岸の防砂林の向こうには、S湾から、太平洋が望めた。秋の清々しく晴れた日だったと思う。土橋を渡って、対岸の土手道を歩いて、国内最大の幹線鉄道、T本線を潜って、国内最大の幹線道路、T海道に出る。少し、隣町の中心街方向に歩くと、脇道として、古くは大陸からの渡来人が住んだ地区に由来する名を持つT神社の参道が現れる。街道を渡って、しばらく歩くと、T神社のかなり立派な社が現れる。山塊の入り口となるT山を御神体とした神社だ。その裏手に登山道がある。どの山にもあるような、急な男坂と、なだらかな女坂に分かれている。
 もう、高学年だし、二人の張り合う意地ある。天気も良かったから、男坂を登った。低山だが、ゴツゴツとそそり立つような岩場を這うように登ることもある急坂だ。足を踏み外せば、怪我をする可能性もある。小学生では、必死に息咳切って登ることになる。登り切った山頂には、麓の下社よりも小ぶりな上社の社がある。少し開けていて、太平洋も赤松の林の隙間にのぞいている。水筒で、喉を潤して、小休止した。そこから続く登山道は、下って行く。しばらくすると、山道の先に、次の峰が現れる。頂上に着くと、小さな祠がある。狭い山頂だが、また、小休止をしたと思う。男坂も登り切ってきたし、かなり顎が上がっていた。しばらくして、気を取り直して、山道を下り始める。やがて、登り坂に変わると、自分たちのいつもの最終目的地、S平が見えてくる。
 S平の広々と開けた山頂は、必死で登ってきた子ども心には、本当に至福の達成感を与えてくれる。
 S平は、自分たちの地元に旧軍時代に存在した首都圏の海の守りの要となるY軍港の兵站工場としての巨大な海軍火薬廠を守る防空高射砲陣地として、山頂を切り崩しで造成された人工の山上の平地だった。素晴らしく開けていて、目前には、峰々を跨いで、白砂青松のS海岸、S湾から太平洋が広がっている。隣市のK岩や、E島も遠く浮かんでいる。その向こうには、M半島が霞んで見える。振り返れば、T山地へと連なる山々、そして、山地の前衛となるO山の雄大な山容が、見下ろしている。その山上の平地には、後年、テレビ塔が立って、その裾にある展望台は、特に眺めが素晴らしく、その転落防止の金網には、カップルが、愛の誓いの南京錠を括り付けるブームも起きたりして、話題になったこともあった。小学生の自分が通っていたその当時の頂上も、既に、かなり整備されていたが、まだあまり知られていない裏寂しい場所だった。ただ、今では、K県の海辺のリゾート地域の人気の場所の一つになっているようだ。
 ただ、もちろん、整備は、進んでいたから、頂上は、レストハウスなどの飲食も出来る施設なども出来ていた。自分たちは、頂上でも、少し窪んで、ベンチや遊具などもある広い公園で、休憩することにした。真ん中辺りのベンチに、二人で並んで腰掛けて、おにぎりと水筒を取り出した。その窪地の大きな公園の上にも、広い芝生が広がっていて、ベンチなどもあった。自分たちの場所からも見える来た方向にあるベンチには、男性一人を挟んで、両側に女性がいる三人組が、座っていた。若い大人と言う感じだった。実は、自分たちは、歩いてくる途中に、彼らには気付いていた。その辺りのベンチで食事をするつもりだったのだが、アベックでは無いが、大人の男女三人組で、ちょっと怪しい雰囲気がして、気圧されてしまった。だから、その辺りでの食事は諦めて、窪地まで降りて、食事することにした。もちろん、遊具が近くにあって、すぐに遊びに行けることもあったが。 
 食事を始めてすぐのことだったと思う。窪地の公園の自分たちの場所を挟んで、三人組とは反対側の場所に、背広を着た男性が、二、三人現れた。そして、その内の一人が、大声で、三人組に叫んだのだ。
 「○○、戻って来い!」。何度となく、叫んだのかも知れない。しかし、動転した自分は、恐らく友だちも、そこからの記憶は、切れ切れになってしまったと思う。しばらくして、三人組の真ん中の男性が、すっくと立ち上がって、叫び返した。「うるせえ!」と。凶暴な怒鳴り声で。しかも、その利き手には、明らかにかなり長い刃物と分かる銀色に輝く煌めきが、握りしめられているようだった。
 しばらく、やり取りは、続いたのだと思う。しかし、もう理解を超えた恐怖のどん底に突き落とされていた自分には、そのやり取りの詳細を記憶することなど出来なかった。やがて、男性が、両側の女性たちに、刃物を見せつけながら、促したようで、三人は、立ち上がった。
 男性は、声を掛けてきた男性たちを窺うように歩き始めた。女性たちは、すごすごと付き従っているようだった。その間にも、対峙するお互いの間には、罵声が飛び交っていたと思う。そして、三人は、自分たちが登ってきた道とは違う、隣町の中心の方に下っていく裏寂しい山道の方へと、消えていった・・・ -続く
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