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日記、日々の想い 

戦争体験、あるなしの壁

戦争は、過去の話だった
おまえの子どもの頃
平和で、飢餓もなかったから
でも、考えてみれば
そんなことは、なかった筈
まず、とうさんは
戦争が、終わっても
直ぐ復員出来なかった
蘭軍の手先になって
インドネシア独立軍と
一年、スマトラで戦ったから
世界中で
植民地独立運動となり
ある意味、大戦後も
世界中、戦争だった筈
この極東でも
大陸では、国共内戦
その辺りから
おくには、占領されていても
焦土から、立ち上がって
塗炭の飢餓を乗り越えていた
その頃には
たいりくは、人民共和国
今度は、半島で戦争
考えてみれば
共産主義が、攻めて来ていた
そんな時代だったんだね
ただ、半島の戦争は
後方兵站になったこの国を
一気に蘇らせたらしい
その休戦になった年
おくにが、やっと許されて
ある意味、再独立の年に
おまえは、生まれた
とにかく、半島の戦争で
おくには、飢餓を脱した
だから、おまえには
飢餓の記憶がない
もちろん、脱脂粉乳の給食とか
今から、思えば
ずいぶんと、貧しかったけど
日常の街中には
戦争の傷跡は、なかった
街のお祭りに行くと
傷痍軍人の人たちの
募金活動とかがあり
それが、戦争の傷跡の記憶❓
最も、本当は
交通事故なんじゃないの❓とか
悪口は、あったけどね
もちろん、首都圏の県内には
米軍の施設は、たくさんあって
そんな祭りでは
遊びに来る米軍兵士は
それなりに見かけた
ただ、おまえには
戦争は、そんなもんだった
でも、本当に不思議
戦争が終わってから
たかだか、十数年
たいりくとはんとうで
戦争が終わってから
十年経ってなかった
でも、僅かな痕跡らしきもの
それを除いては
とうさん、かあさん
ばあちゃんの戦争話
学校ても、先生から戦争話
年中聞かされたけど
身近には
まったく、感じられなかった
ただ、絶対忘れるな、とか
今みたいには
わざわざ、話はなかった記憶
まあ、おとなたちは
話しはするけど
いかにも痛そうだった
あんまり、思い出したくない
そんな風に見えた
凄く、身近だったんだね
だから、みんな
おとなたちは
本心は
早く忘れたかったのかな…

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