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日記、日々の想い 

結核が、最大の恐怖だった頃…

かあさんのせいもあるな
末子のおまえが
心配で仕方なかった、かあさん
悪性の扁桃腺
肺炎にはならなかったけど
気管支炎には、よくなった
熱は、40℃を超えていたか
目は、ぐるぐる回る
意識は、ぼんやり
火のように熱い
扁桃腺、その痛みは
喉のずっと奧
首全体も
火のように熱い
力のない咳が出る
痛くて、痛くて
力がないから
咳は、やっとする
その咳は
結核患者のようだった
昭和30年代の前半迄は
治療法は出来ていても
少しでも、治療が手遅れなら
取り返しのつかない
まだまだ、死に至る病だった
かあさんは、兄のおじさんが
結核で、片肺摘出手術
結婚しては
義弟のおじさんが
末期患者だった
だから、おまえが
身体が、弱いから
周囲の親族に
末期患者もいるから、と
いつも、心配していた
そんな風だった思う
だから、子どものおまえは
いつも、心配されて
言葉の端々に、結核
結核の恐怖を
洗脳されていたと思う
多分、おまえは
子どものうちに
結核に罹って
消えてなくなる
その恐怖に取り憑かれていた
でも、結局
高齢者になるまで
たいした感染症にも罹らず
こうして、生きている
分からないもんだ
そして、covid19か
なんだか、不思議だな
なんとなく、罹る気がしない
罹っても、無症状な気はする
もちろん、感染症対策は
しっかり、している
でも、何故か
この感染症が
あんまり、怖くない
それは、素人なり
色々、調べて
最低限の知識を得て
感染症の正体を知る
それが出来るようになった
そう言うことだと思う
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