また、家に戻ろうとするには
この信号だった
いや、もちろん
少し前の筋に戻れば
信号の無い横断歩道だってある
だから、この信号が
帰るに帰れないなんて
そんなことじゃないけど
でも、この
分譲住宅内の道路も
まだ、数年前だけど
先々の道路の整備で
国道と空港に繋がる
バイパス線になってしまって
随分な交通量に
なってしまったんだ
だから、渡るのには
ちょっと、逡巡する
そんな気持ちが
今は、後押しの気持ちに
なっているみたいだ
もう、渡ったんだから
絶対、戻らない
あんな信号の交差点や
横断歩道にも
クルマは、どんどん来るんだ
すぐにまた
渡って戻るなんて
あり得ないよな
いや、別に
ちょっと、面倒なだけだけど
でも、なんか
今は、それだけで
思い切れた気がしていて
戻らない、戻れない
後ろを向きそうになる
そんな弱気を
ふっ切らしてくれたんだ
さあ、でも
しばらくすると
結構な急坂がある
距離にして、300m超
傾斜度も、8度はある
でも、こうして
必死に前へと
ただ、歩いていると
アドレナリンが
出始めたみたいて
なんか、不思議だな
さっきまで痛かった
悪い右脚の痛みが
なんだか、消えたみたいだ
あの坂道も
なんとなく、難なく
登れそうな気がしてくる
また、信号を渡って
さあ、坂道だ
絶対、登れる
登り切ってやる
とにかく、アドレナリン❗️
アドレナリンなんかと
無縁みたいな自分が
アドレナリンの分泌を
凄く、意識出来てる
坂は、登る
登れる
道は、歩く
どこまでも、歩く
歩ける
地の果て迄だ
何だか、自分らしくないな
でも、前を向いていて
ただ、歩いていて
痛みとか、息苦しさとか
すべて、飛び始めた
いや、すべて
吹っ飛んだよ
多分、今なら
跳べる
間違いない
跳べるよ
あの結婚して
半引きこもりから
自分を、叩き出して
社会へと、跳んだ
飛び立った時みたいに
結局、こうして
墜落してるみたいで
そして、地を
這っているみたいな
社会に、ただ
絡め取られただけの
この惨めな自分を
抱き起こして
起ち上がらせて
歩かせて
もっと、歩け
走れ
跳べ
飛び立つんだ
そして、何処までも
当て所はなくても
果てしなく
翔んで行くんだ
汚泥塗れのおまえだけど
行け、行くんだ
to be continued
朝から、どんよりした曇りの天気でしたね。午前中、雨になる予報でしたが、降りました。しっかりと。二時間は、降らなかったと思いますが。時間10mmですから、かなりの強雨でした。当地でも、雷注意報も出ましたが、関東平野では、竜巻注意報も出たところも、あるようです。
雨が、降り始める前の、当地の最低気温は、空港観測値で、24.6℃と、熱帯夜に近いかなりの高さでした。そう言えば、蒸し暑かったなと、感じました。そして、9時台には、26℃台と、あまり上がらなかったのですが。そこから、雨になりました。それで、最低気温更新。22.4℃迄、下がりました。ただ、雨の上がった午後の最高気温予測は、30℃。日は、出ませんが、蒸し暑い日には、なるようです。
今朝は、アフガニスタンのタリバンの政権掌握に関して、思うところがあって、未投稿だった散文を、投稿しました。アフガニスタンの首都カブールの阿鼻叫喚状態の放送が、再三為されていました。自分には、違和感満載でしたが。未だに、世界最貧国水準と思われるアフガニスタンですが、その割に、身なりの綺麗なひとたちが、騒いでいました。
邪推ですが、欧米の支配による受益者としての富裕層が、阿鼻叫喚してしまっているのかな、と思ってしまいました。あの欧米が、自らの価値観で、ジャンヌダルクのように、祭り上げたパキスタンの少女も、やや特権的な階級だったのかも知れません。パキスタンのタリバン勢力に虐待されたのですが。ノーベル賞平和賞を受賞して、欧米的な人権主義の象徴、或いは、都合の良い傀儡として、欧州に在住、活動をしている筈です。彼女の言葉は、例えば、富裕層に属するアフガニスタンの女性たちには、響くかも知れません。でも、アフガニスタンの貧困層の女性たちには、どうなのでしょう。口先だけで、具体的には何もしてくれない人権主義者よりも、従属的に支配されても、タリバンの男たちが、取り敢えず食わしてくれれば、そっちの方が良いのかも知れません。ましてや、見下されていると思っていたかも知れない富裕層の女性が、タリバンの支配の下では、自分たちより下に置かれていたら、喜んでいるかも知れません。
自分は、ろくでもない皮肉屋だとは、思いますよ。でも、物事は、見る視点によっては、まったく違って見えることもあります。タリバンが、何故、政権を奪取出来たのか。それは、支持する民衆が、一定数いるからだと思っています。ミャンマーなどで起きたことも、似た背景がある可能性は、あるかなと思っています。ただ、軍事政権が、暴力を、振りかざしただけで、ああなったのか。あの暴力を、支える民衆も、多かったのかも知れない。反政府の富裕層らしく思える学生たちとは、別の民衆が。特権階級の子女として、のうのうと人権だの自由だのを掲げることが可能な、スーチー女史のような方とは、かけ離れた多くの民衆も、きっといるのだろう、と。
自分は、別に、現在持っている自らの人権とか、自由とか、手放したいと思っている訳では、ありません。でも、かと言って、タリバンの政権奪取のようなことが、今後とも起き得るとも、思っています。ただ、もちろん、自分の出来る範囲内であれば、反タリバン的な活動には、支援したい気持ちもあります。殆ど、ないでしょうが。でも、何故、タリバンのような勢力に反対するのかと言うと、自分の今の生活を、守りたいからです。それだけです。生きている限りはね。自由だの、人権だの、そんな大義なるものを振りかざし、叫ぶつもりなどは、ありません。それほど、素朴な気持ちには、なれないからです。