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日記、日々の想い 

あれ?マシントラブル⁉︎いや… 2

 この出来事は、結構気持ちが悪かった。1が、あった頃に、何度となく起きた出来事だった。その頃、自分の住む、この首都圏近郊だが、辺境の田舎町も、まだバブルが崩壊する前で、活況を呈していた。大規模分譲を中心とした住宅建設が盛んに行われていたので、自分を含めた多くの子育て世代の新住民たちが、この田舎町に流入してきていて、過疎地だった町が、人口が急増している時代だった。もちろん今は、かつては新住民だった、自分と同様な老齢者ばかりが取り残されて、町は、再過疎化してしまっているのだが。
 自分は、学生時代の同級生と、卒業して直ぐに結婚して、最初は、公団、今のURの賃貸の高層住宅に住んでいた。色々経緯があって、夫婦は、同じ会社の別の事業所に勤めていて、共稼ぎをしていた。そこで、長男が生まれて、更に二人目を授かることになり、親戚に頭金を借金して、マンションを購入した。まだ、男女雇用機会均等法など、施行される遥か以前の時代だった。妻は、総合職と同等の資格を得ていたので、夫婦が貯えもなく結婚して、余裕が無かった為もあり、共稼ぎを継続して貰っていた。だから、子どもたちは二人とも、妻が産休中を除いて、ずっと保育園に預けていた。
 しかし、長男が、小学校に上がる年齢が近くなってくると、学童保育に預けるにしても、なかなか難しいと言う話になってきた。まあ、我々の世代だと、今時の女性だったら許して貰えないだろうが、子どもたちは、妻が、一人で保育園に預けて、通勤していた。もちろん自分が、都内の本社勤務で、営業職で、忙しくて、手伝いも不可能で、妻は、と言えば、マンションからほど近い事業所に、勤めていたこともある。しかし、自分が、妻の苦労に対する認識が、ほぼ無かったのは事実で、その点は、言い訳は出来ない。妻も、疲れて果てていたのかも知れない。小学校に上がる子どもたちを、手元に置き、しっかりと育てたいと言う。それで、借金の塊のマンションを高く売り、より郊外に、差益を出せる安い住まいを買い、妻には、専業主婦になって貰うことになった。バブル期のピークの少し前の時代で、中古住宅が、購入時より高い価格で売れるようになった、考えられない時代になり始めていた頃だった。
 妻が保育園に子どもを預けて働くと言っても、公団時代は、帰宅時間との兼ね合いで、認可保育園には、預けられなかった。無認可保育園になると、桁外れに料金が高い。マンションに転居した後も、区域外の保育園に預けるから、認可枠になかなか入れないなど、高額の保育料に苦しんだ。正直、妻の給与は、殆ど、保育料で消えてしまう時期も長かった。将来に亘る妻の職場確保の為の先行投資の意味合いで、働いて貰っていたようなものだった。今から思えば、妻は、そのあまりの馬鹿馬鹿しさに、既に限界を感じていたのだろう。とにかく、転居して、妻に、専業主婦になって貰うしかないと、自分も覚悟は決めた。
 新居は、住宅価格の高い二人の実家のあるK県は諦めて、首都圏でももっと安いところに引っ越すことにした。マンションを購入するつもりだったが、探している内に、二人の夢が膨らみ、一戸建てを購入することになってしまった。首都圏では、一番価格の低そうなC県のJ線方面に絞った。妻のルーツがその方面にあり、親類も多く、馴染みがあったと言うこともあった。自分は、親戚が、K県以外にはいなかったが、営業マンとしては、その方面にも馴染みがあり、抵抗はなかった。だが、もうバブルのピークに向けて、住宅価格は、高騰をし始めていて、購入にも高い倍率の抽選が必要になり始めていた。売却するマンション価格も、購入時よりかなり高い値段が付いていたが、価格は、乱高下していた。売り買いの時期が難しかくなってしまったが、何とか、J線方面でも、更に支線のN線の奥地の大規模分譲の抽選に当たり、開き直って、マンションは叩き売って、念願の一戸建てを購入出来た。しかし、そんな田舎でも住宅価格は、かなり高くなってしまっていて、売る方は値引きしてしまったから、思ったように差益は出なかった。とは言っても、中古マンションは、購入時よりずっと高く売れたのだから、贅沢など言えない。バブルのピークは、その数年後だったから、売却価格と、購入価格のバランスも、かなり理想的に売買出来ていたことは、後で分かった。本当に、恐ろしい時代だった。
 とにかく、その運で、田舎とは言え、無事一戸建てを、購入出来た。ただ、その状態で、引っ越し費用、新居の家具代、自家用車の買い替えもしたから、以前とあまり変わらないローンを、残してしまった。
 妻は、退職して専業主婦となり、子どもは、分譲住宅地内にある近くの幼稚園に入園して、無事、新生活がスタートした。しかし、以前は、妻の給与の殆どが、保育料に消えていた時期もあったとは言え、ローン返済が減っていないのだから、生活に余裕が出来ないのは当たり前。世渡り下手の自分も、さっぱり収入も増やせない。妻に、副業をして貰うことにした。J線沿線に住む妻のまた従姉妹が、最大手学習塾FCで、塾を経営していた。妻も、教職資格を持っているのが有利に働く筈で、入会審査を受けることになった。しかし、講師には採用されたが、教室の開設場所が難しい。普通は、自宅に開設する場合が多いが、地元の分譲住宅地は、既に、他地区住まいのベテランの方が、幼稚園の園舎を借りて開設してしまっていた。その方は、町の最大の分譲住地にも教室を持っていて、子どもの多い新しい住宅地は、諦めるしかない。古い街中に、開設することになった。
 昔のT川水運の宿場発祥の古い街だから、他所者には、馴染むのも難しい。しかし、何とか、地元の資産家が所有していて、空き家になっていたプレハブの貸し事務所を借りることが出来た。
 しかし、この立地が、なかなかに不気味だった。事務所の前を、町最大の分譲住宅地を中心とした新市街に通じる大通りが、通ってはいた。ただ、その辺りは、街を外れているから、脇の歩道も未整備で、事務所前も、ぼうぼうの草むら。道の向かいは、町最大の神社の鎮守の杜の里山がこんもりとあり、民家はない。町の中心街方向には、町内最大の寺と墓園が遮る。背後は、賃貸しの駐車場が広がる。大通り沿いに並んでは、一応、資産家所有の借家が数軒建つが、これが、築数十年に見えるあばらやだ。洗濯物が、干してあったりするから、一応、人は住んでいそうだが、人影は見えない。何だか、とても、まだ若い主婦だった妻を、塾の終わる夜まで置いておくのは、不安しか感じなかった。実際にも心配になり、塾が開設されてからも、幾度となく迎えに行ったこともあった。とにかく、まず、目の前の鎮守の杜が、重くのし掛かってくるような、高々として深い暗がりだ。その手前の大通りは、辺りには街灯もなく、幹線ではないので、クルマは通らない。遠くに、信号の点滅が見えるだけ。わき道を挟んでは、広い墓苑が闇に沈んでいて、目を凝らすと、不気味な墓石が、様々に浮かんできてしまう。街の中心の住宅地の灯は、寺を囲む雑木林に遮られてしまっている。裏手の駐車場は、見えないが、傍に連なるあばらやは、灯りも漏れていなくて、人の気配は感じられない。この宵頃には、帰宅していないのだろうか。
 鎮守の杜や墓苑が近いから、心霊的な気味悪さも感じるが、それよりも、こんな寂しいところに、生徒や助手さんが帰ったあと、不審者が現れたらと、改めて、妻の仕事の環境酷さに、不安を強めてしまった。
 しかし、現実的には、生徒集めに、何よりも苦労した。開設費用も掛かっているから、取り戻さなければならないが、何しろ子どもが、少ない。新市街は、新興分譲住宅地で、育ち盛りの子どもを抱えた家庭ばかりで、いくらでも、生徒を集められる。しかし、そこは、既に先任者に抑えられているのだから、どうにもならない。妻の地盤となった旧市街は、以前からの過疎地のままで、子どもを持つ家庭も少なかった。ただ、妻は、子どものあしらいは上手い方で、指導力もあった。だから、少し生徒がとれ始めると、口コミで増えて行き、塾の経営は、軌道に乗り始めた。そんな頃のことだったと思う。自分も、営業職を外れて、担当役員のスタッフの事務系の仕事に異動していて、早く帰れた時は、妻を迎えに行くことにしていた頃だ。そして、会社では、前編で書いた理解を超えたパソコンのプリンターの誤作動なども経験した。ほんの少しだが、超常的な現象などと言うこともあり得るか、などと考えるようになった時期でもあった。
 或る晩のことだった。もう少しで深夜になりかけで、子どもは寝かせて、夫婦で晩酌などをしていたのかも知れない。突然、自宅のFAX付きの電話が、FAXを着信したようだった。メッセージは、小さな液晶画面にしか出ないような、昔の機器だ。ただ、FAXが、着信した時の作動音がしたのだ。しかし、その音は直ぐに途切れて、着信エラー音が響いたと思う。メッセージは流れない昔の型だ。不審に思って、液晶画面を覗くと、やはり、着信エラーになっている。すると、FAXが、また稼働を始めて、着信エラー履歴が印刷された。着信エラーになると、履歴が印刷される型だ。或いは、着信履歴データが、定期的に自動印刷される設定もあったので、そんなことだったのかも知れない。
 えっ⁉︎目を疑った。それは、妻の学習塾の電話からの、FAX着信エラー履歴だったのだ。妻の学習塾にも、電話機を設置していた。妻は、その頃は、休講日にも作業を要するFC塾関連の一部の書類は、自宅に持ち帰っていたが、おおかたの塾関連の備品は、プレハブの塾舎に置いたままだった。だから、開講日になると、早くに自宅を出て、塾舎で仕事をしていた。もちろん、そんな日にも、新規入会や、受講内容の問い合わせなどはある。所詮、商売だから、少しでも問い合わせなどあったら、必ず売り込みは、逃せない。また、FC本部などとの必要な連絡もある。スマホどころか、ガラケーさえも程遠かった時代だった。固定電話は、商売には、必須だったのだ。それと、自分が、寂しい場所で妻に仕事をさせていると言う不安もあった。何か起きた時に、安否確認を出来るようにしておきたい。だから、塾開設と同時に、固定電話は、設置してあった。プッシュホンではあったが、ただの電話機を。そう、そのただの電話機から、エラーにはなっているが、FAXを着信したと、自宅のFAX付き電話は、報告しているのだった。休講日で、塾舎の唯一の住人の妻は、目の前にいる。彼女の経営する無人の筈の塾舎に設置してある、ただの電話機から、FAXが送信されてきて、しかし、着信出来ずにエラーになったと、FAX付き電話機が排出した記録紙には、間違いなく、そう印刷されてあったのだ。物凄く、薄気味悪かったが、もちろん、記録紙は保管した。
 色々と可能性は、考えてみた。誰かが侵入して、電話機に手を掛けたとか。その時代の電話機でも、番号登録は既に出来て、当然、自宅の電話番号は登録されていた。だから、侵入者が、電話機をいじって、誤発信されたなどと言うことはありそうだ。それを、自宅のFAXが、電話機からの着信を、マシントラブルか何かで、FAXからの着信と誤認して、FAX着信エラーと記録した。それが、一番可能性が、ありそうにも感じたが、それは、それで、リアルに不気味な話になる。でなければ、電話機が、電磁波などの影響を受けて、誤作動して、登録された自宅のFAX電話に送信、それを、また、自宅のFAXが、FAXからの着信と誤認した、とか。
 次の開講日は、妻は、当然、荒らされていないかと、不安がって、出掛けたようだ。もちろん、自分も、気になり、安否確認の電話も入れたと思う。しかし、侵入の形跡などはまったくなかったとのことだった。もちろん、施錠は、しっかりとされていたのだし。ただ、そうなると、何故この塾のただ電話機が、送れる筈もないFAXを送信してきたのかと言う不可解な謎が残ってしまう。いや、きっと、すべては、ただのマシントラブルだったのだろう。それが、たまたま重なってしまい、謎のように思えているだけなのだ、と。そう、思っていた。
 しかし、そんな怪しい出来事は、それだけでは終わらなかった。何度となく、同じことが、起きたのだ。その着信記録紙も、残した。理解不能な超常的な出来事の証しとして。もちろん、今は、とっくに、失われてしまったが。誤着信は、立て続けに起きたこともあったし、忘れた頃に起きたこともあった。未明や早朝の寝静まっている時間帯に着信していて、後々記録紙で確認して、分かることもあった。と言うより、着信エラーの場合は、着信音も一瞬で途切れて、簡単な記録の印刷があるだけなので、事後に気づくことが、殆どだったと思う。月別に纏めた発信履歴などと言う支払いに関わる書類の送付も、NTTと契約してあったと記憶している。塾の電話の分を確認すると、確かに、自宅の電話に、同じ時間に発信した記録があった。直ぐに切れているので、定額料金の範囲内で、余計な負担にもなっていないし、それ以上の追跡はしなかったが。やはり、マシントラブルだろうか。多分、塾の電話機の自宅電話番号の登録は、取り消したと思う。念の為。それでも、着信は時折あったが。大抵気付かずにいて、電話機の着信履歴を確認すると、未明などに掛かって来ていたことが分かる。ちょっと、ゾッとなる。妻の身に何かの危害があった訳でもないから、そんな薄気味悪い気持ちは、結局、放ったままだったが。
 その塾舎は、持ち主の資産家が、その土地に家を新築することになり、契約を打ち切られて、立ち退いた。恐らく、隣接していた借家数軒もその時に取り壊されて、建て替えられたか、更地にして自宅敷地に取り込んだようなことだったと思う。学習塾は、もっと立地の良いアパートの一室を借りて引っ越した。その当初は、まだ、携帯も普及途上だったので、固定電話は、番号を変えずに、移設した。電話機も、そのままだったと思う、それ以降は、そんなことは起こらなかったが。何故なのかは、分からない。
 この超常現象もどきの話は、ここまでだが。ちょっと、まつわる嫌な話がある。塾舎と並んで立っていたあばらやの数軒の借家には、一応、何人かの単身の住人がいたようだ。そのうちの一人が、旧市街にある古い割烹料理屋の仲居の女性だった。その女性が、多分、塾舎の固定電話からの誤発信が始まった頃の前後だと思うが、犯罪被害者になると言うことがあった。彼女は、近隣の町にあった歯科の医師と不倫関係にあって、現場は、隣のI県にあるラブホか何かだったと記憶しているが、いわゆる痴情のもつれで、医師に絞殺されてしまったのだ。
 この事件は、全国版の新聞やテレビでも、大きなニュースになった。現役の歯科医師が、愛人を殺害すると言うかなり衝撃的な事件だったからだ。現場は、地元の町内の居宅とは無縁な場所だったが、町内在住者と言うこともあり、平和な田舎町では、しばらくこの事件の噂話で持ち切りだったようだ。医師が、割烹料理屋の客として、二人は知り合ったとか。医師は、既婚者で、二人は不倫関係だったとか。そして、彼女の住んだその粗末な借家の裏寂しい佇まいもあって、空き家に、幽霊が出ると言うような。塾の送迎をする母親たちはもちろん、子どもたちも、あれこれと噂し合っていたと言う。もちろん、隣接する借家の空き家のことも、気味悪がりながら。妻も、すっかりその噂話には、取り込まれてしまったようだった。ただ、少し違っていたのは、その幽霊話に、夫婦しか知らない塾舎の不気味な電話機の誤作動の現象を、絡めて考えてしまっていたことだった。
 ただ、その辺りで不気味だったのは、その殺人事件に絡むあばらやの存在だけでは無い。夜に黒々と押し被さって来る鎮守の杜や、闇に沈む墓石の数々など。霊がどうだのと、信じたくなくても、少し怖れたりすれば、そんな不気味は、いくらでも転がっている。皆が帰り、一人ポツンと、果てしない闇に、ぽっかりと浮かぶ頼りなげな灯の下で。
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