最初は、出血が酷かったので、ギプス内に、血が溜まってしまって、かなり短期間に、交換していたと思います。何しろ、足の裏に纏わり付く血溜まりのちゃぷちゃぷぬるぬるした感触を、今でも、思い出すほどですから。ギプスは、右大腿から、膝。患部の下腿から、踝、足の平迄固定していました。完全に、右脚全体を覆うような、巨大なギプスでした。
自分の怪我は、500kgのドラム缶に、右下腿を、直撃されたものでした。工場の中空にあるような上階に、工業用ダイヤモンドの原料の微細な粉末を詰めたドラム缶が、大量に、置いてありました。
自分のアルバイトは、そのドラム缶を、一本ずつ、ワイヤーで、しっかり括って、ワイヤーの先の輪っか状の部分を、クレーンのフックに、引っ掛けます。その状態で、クレーンを操作して、ドラム缶を、持ち上げ、吊るします。更に、クレーンを動かして行き、階下にある処理装置の投入口の上迄、運びます。そして、ドラム缶を倒して、原料を、処理装置に、投入します。最後に、その空きドラム缶を、またクレーンで、空き缶置き場に運ぶ迄が、一連の作業でした。
多分、ワイヤーの括り方が、かなり甘かったのでしょう。クレーンで持ち上げ、吊るして。でも、ドラム缶の吊るされ方が、何か気に入らない。思わず、手で押してしまっていました。あり得ない行為でした。
どすんっ❗️…その現場に配置されて、数回、作業をこなしただけの事故でした。会社を恨むより、とにかく、そんな直ぐに、事故を起こしたことが、情けなく感じていました。何しろ、その会社は、学校休みの時期には、常に、その現場は、学生アルバイトに任せていたのです。そして、事故を起こすなど、自分が初めてだったのです。
とにかく、自分は、劣っている。普通の学生アルバイトだったら、誰にでもこなせるあんな単純作業も、出来なかった。劣等感と、自責の念しかありませんでした。
でも、後々考えれば、作業工程としては、危険箇所を、何度も人手で潜らなければならない。かなり、原始的で、いつ事故が起きても不思議ではい。そんな現場だったのでしょう。そこそこの規模の会社だったのですが、昭和50年の日本など、まだまだ、お若い方々には、信じられない位、アナログな社会だったのです。
ただ、問題は、ドラム缶の内容物の、その微細な原料の粉末でした。その粉末が、自分の右下腿の、砕けた骨に突き破られた傷口に、大量に混入してしまいました。とにかく、ワイヤーの括りから外れたドラム缶は、自分の右下腿にぶち当たりながら、横倒しになっていました。微細な原料粉末は、ぶちまけられたのです。自分の傷口にも。大量に。自分が、ドラム缶の下敷きにならなかったことだけが、幸いでした。
自分の傷口に混入した、原料粉末は、また、無数の雑菌を、纏っていたことでしょう。救急搬送された病院の応急措置的な緊急手術は、その粉末を、少しでも掻き出すことに、多くの時間が、割かれたのだと思います。多分、たわしのような医療機器が、使われました。ひょっとすると、本当に、たわしだったかも知れません。
雑菌を、纏った粉末は、如何に微細であっても、なるべく除去する必要が、ありました。でなけれれば、骨髄炎など、脚を切断しなければならなくなるような深刻な感染症の危険に、晒されなければなりません。
砕け折れた骨が、数か所も、突き破った外傷と、出血も、深刻だったようです。また、骨自体も、砕けるようになっていて、綺麗に接合処置が、施せるような状態では、なかったようです。
当時の医療技術でも、骨折の場合は、金属の添え木を、直接骨に取り付けました。骨は、成形されて繋ぎ合わされて、より早く綺麗に、完全に固着して、復元されるのです。
ただ、その時の自分には、そんな治療などは、施されませんでした。施せなかったと言うことです。下腿骨は、きちんと固着しましたが、尺骨は、ずれて、歪んで固着してしまいました。仕方ありません。
とにかく、右大腿から、膝。右下腿、踝、足の平までを、覆い尽くす。ぞんな巨大なギプスで、患部を固定するしか、方法はなかったのだと思います。
話は戻って、その四か月後のギプス交換です。丸鋸のような器具で、ギプスを、割っていきます。担当医の若い先生ではなく、部長先生が、施術しました。これが、ちょっと、怖い。
この人、一時、ちょっと同室だった中学時代の同級生の父親の膝のお皿、膝蓋骨を、割る医療ミスをした人でした。日本一の帝大医学部卒なのですが、戦時の医者だけに、手法が、かなり乱暴だったようです。
大腿骨折で、曲がりがなかなか良くならない膝を曲げようとした治療だったようです。部長先生は、回診時に、病室で、そのおじさんの膝に馬乗りになったそうなんです。それで、ぐいぐいと。で、お皿が、がっちゃんっ❗️です。
あの、今でも、日本一の偏差値を誇る筈の医学部出身ですよ。戦前ではあったのでしょうけど。その時代には、更に狭き門だった筈なのですが。世の中、肩書きなどは、あまり無条件に信用しない方が良い、証左かと思います。もちろん、昭和50年とは言え、当時でも、まったくあり得ない治療、施術と言うより、所業だったと言うことです。
とにかく、そのおじさんと、部長先生が、回診のたびに、気まずく重苦しい話し合いをしていたのは、鮮明に、記憶しています。そして自分は、おじさんから、部長先生のあり得ない所業を、繰り返し聞かされていました。おじさんは、転院も、なかなか難しいらしく、随分と悩んでいたのを、思い出します。
そんな部長先生に、丸鋸とは❗️って、感じですよね。○チガイに、刃物みたいな。でも、丸鋸は、普通のタイプではありません。反復回転する一定の深さ以上は、絶対に切れないとのことでした。でも、怖い❗️部長先生が手にした丸鋸が、唸り始めます。でも、これから、切られる身からすると、歯の高速回転なんて、見分けがつきませんよっ‼️
to be continued
今朝の当地の最低気温は、19.8℃でした。かなり高かったようですね。午前10時には、既に、27℃になっていました。やはり、蒸し暑く、感じますね。
ただ、午前中から、雲が多めでしたが、今は、日もなくなりました。夏日になることはない予測です。西日本、中部日本は、記録的な早い梅雨入りをした今年。関東、首都圏は、まだ、梅雨入りしてません。この曇りの先、明日以降は、断続的に、雨の日があるようです。当地でも、そろそろ、梅雨入りとなるのでしょうか。