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日記、日々の想い 

改めて、防空壕…

母の実家は
小学校の前にあった
海軍火薬廠の置かれた
生まれ故郷の街の中
だけど、本当は隣町
自分の生まれた市は
火薬廠があったから
早くから、開発されて
県下では、四番目に
市政が施行された古い市
母の実家があったのは
火薬廠を挟んで、反対側の町
そのまた、真ん中辺りかな
江戸の昔には
大権現様が
鷹狩りに来た町
今でも、その地名は
都内から県内に繋がる
街道に名前が残っている
その御殿があったのが
母の実家の前の小学校の辺り
だから、近くのバス停は
N原御殿と言った
母の実家は、小学校の目の前
だから、文房具と駄菓子の店
母の義姉の
伯母さんがやっていた
祖父は、火薬廠の職員
伯父さんは、自動車工場勤務
これも、昔の軍需工場
戦後は、某社の子会社
有名なスポーツカーも造っていた
ただ、祖父も伯父さんも
畑もあったから
兼業農家だった
家の敷地も
今思えば、かなり広い
表は、雑貨店だから
庭は、裏になるけど
大きな釣瓶井戸があった
山羊小屋もあって
二頭は、飼っていた記憶
そして、敷地内に
防空壕をあった聞いた
跡が残っていたらしいけど
見てはいない,怖いしね
母は、勤めていた学校ではなく
火薬廠の大空襲には
実家で経験
その防空壕に逃げ込んだ言う
もちろん、空襲警報は
それ以前から、何度もあって
火薬廠の空襲の前には
県庁所在地の工業地帯
その大空襲があって
真夜中まで
空が、真っ赤だったと
母は、その恐怖を
よく語っていた
何十キロも、離れているのにね
ただ,遠くだから
かえって,見られたのだろう
何度も、何度も
母から、聞かされた話だ…
思い返していたのかな
高射砲陣地と防空壕
里山への遠足の帰りだ
バス、みんなの人いきれ
窓際の席で、ぼんやり
流れて行く景色
防空壕の廃墟
暗がり、その先
例えば、防空壕に
辿り着けなくて亡くなったひと
機銃掃射、とか
或いは、そうだな
隣町の駅の辺りの話
小学生の女の子だったと言う
もちろん、防空頭巾は被っていた
でも、いざとなったら
何の役にも、立たないと
母は言った
女の子は、首筋に
焼夷弾が突き刺さって
死んだのだと言う
そんなこと
本当に、あったのかな
分からないけど…
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