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日記、日々の想い 

"なにか"と、おまえと

ものごころついてから
おまえは、神仏など
想像することすら
まったく、なかった
それは、多分
親や、教師とか
周りの大人たちから
そんな教育を
受けたからだろう
だから、もう
神仏の存在を
想像しないのではない
想像も、出来ない
そう言うことだったんだ
一生、絶対に、だ
それで、結局
実証主義教に
帰依したのだと思う
実証主義教には
教義はない
いや、ある
実証することだろう
ただ、実証は
とことん、突き詰めても
多分、何にもない
いや、あるんだろうか
そこには、きっと
意味やら、価値やら
人間如きが、欲しがる
そんなものは、何もない
善だの、悪だの
慈悲だの、恵みだの
罪だの、罰だの
そんなこととは
一切、無縁に
宇宙の営為は、あって
それに先立つ"なにか"
それは、きっと
あるとか、ないとか
そんなどうでも良いこととは
まったく違う
あるでも、ないでもない
"なにか"
それは、もちろん
"なにか"なんだと
言い表そうとか
定義づけようとか
そんなおまえの
つまらない営為の
遥かな彼方だ
彼方にあるとか、ないとか
そんなことではなく
ただ、彼方だ
おまえの如き
実証主義教の、末端の信者は
決して、口にしてはいけない
"なにか"
それは、そうなんだ、とか
言っても、いけない
とにかく、それは
そうじゃないんだ
そうじゃなくも、ないけど
そんなことに、何となく
気づいてからは
特に、思春期とか
おまえは、すべて
ただ、虚しくて
死にたくもないけど
生きたくもなかった
そうなのかも、知れない
それは、きっと
そのおまえと
あまりにも、圧倒的な
宇宙を超えた
"なにか"との
多分、脈絡
少なくとも、のようなもの
それを、きっと
まったく、見出すことが
出来なかった
そうなのかも、知れない
ただ、ある頃から
なんとなく
そんなことを
まったく、気には
しなくなったんだ
善と、悪とか
罪と、罰とか
ただ、その中に生きる
慈悲も、恵みも
本当はないけど
その幻視に、踊って
喜び、怒り、哀しみ、楽しむ
ただ、それだけに
生きれば良いんだ、と
きっと、"なにか"が
脈絡などとは
まったく、無縁
いや、遥かに
超越していて
自分は、きっと
なんの根拠もなく
ただ、自分の
生きることを
生きるしかない
いや、生きれば良い
そう、思うように
なれた気がする…
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