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日記、日々の想い 

差別… 自分は、区別をしています

 昼前に見ていた、テレビの映像。アジア系の65歳の女性だそうな。ホテルの入り口前を見張る監視カメラらしい。そこに、その女性が、映り込む。いきなり背後から、走り込むアフリカ系の屈強な男性。すれ違ってた訳ではない。いきなり、背後から、蹴り飛ばす。何度も、何度も。蹴りつける。されるがまま、跳ねたり、叩き付けられたり。生きているのが、不思議なくらい。
 ああ、米国のアフリカ系って、こんな人たちなんだね。そりぁ、差別されるよね。被害者の女性と同じ、世界的には、このコロナ禍で、大概差別される側の自分は、人を差別出来るほどの強い立ち場ではないけど。身を守らなければいけないから、せいぜいそんな人たちは、よくよく注意して、関わらないように、しっかり区別して、気をつけないとね。
 自分は、今、キング牧師は、とっても、尊敬する。崇高な人だ、とも。彼の有名な演説などは、日頃冷血な側面もある自分でも、何度聞いても、涙が堪えられない。また、明治維新から、敗戦を経た日本人の白人崇拝意識の、負の側面としての日本国内でのアフリカ系の方への差別の歴史も、知らない訳じゃない。
 だけど、自分の上っ面の正義感の浅い判断かも知れないが、白人警官の暴力を受けたアフリカ系の青年たちの中に、挑発的な態度を取っているのでは、と思える場面があって、そんな若者と、アジア系の高齢女性を無慈悲に蹂躙する加害者が、結構、似たタイプに見えてしまったりする。きっと、それは、自分の浅い邪智なんだろうが。
 でも、いつも、人は、差別される側だったとして、思わず、差別する側になっていたりするのかも知れない。だから、お互いを、差別と言う手垢に汚れた言葉ではなく、区別した方が良いと思っている。みんな、ひとりひとりは、それぞれに違う。間違いなく、同じじゃない。人類は、皆平等は、理念としてはありだろうが、でも、みんな違う。無闇に、平等を叫ぶのは簡単だが、みんな生まれた時から、それぞれで、別々だ。だから、お互いのその違いを、自分なりに、しっかりと理解する。それぞれの人を、一括りではなくて、区別して考える。その上で、お互いに、親しみ合えたり、協調出来る道を、探る。最悪、距離をとることが、お互いの最善の選択なことだって、時と場合によっては、あり得る。そんな風に、自分は、考えて、そんな風に、生きようと思っている。

コメント一覧

takey813
コメント有難う御座います。仰る通りだと思います。いじめ問題と構図がよく似ています。いじめられっ子と、いじめられっ子が、結構表裏だと言うことも、有りがちなようです。もちろん、自分にも、そんな表裏の資質はあり、だからこそ、人それぞれの違いを、しっかりと感じとって、協調的に生きていけたらな、と思っています。
kaminaribiko2
こんにちは

アメリカでは体力的に一番劣るアジア人が最下層であると言う人もいますね。黒人も差別される辛さが分かっているのだから、こういうことは絶対してはいけないわけだけど、この構図はいじめっ子がかつてはいじめれっ子であったという構図と同じかもしれません。日本人も名誉白人などという煽てに乗らないで差別の問題を真剣に考えるべき時期に差し掛かっているのでしょう。
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