また、懲りもせずの、再投稿です。昨日の続きです。多少、変えてあります。
やっぱり、怒られる… きっと。お母さんは、犬が嫌いだからね。でも… 離さない。この子は、絶対に。
その頃の実家は、新築して、数年くらいだった。たいした家でも無いのだが、父親は、夢をいっぱい詰めようとしたらしかった。だから、門扉も、洋風の高い両開きの門で、そのままブロック塀に繋がっていて、脇には、片開きの小門が、あった。こう書くと、何が豪邸みたいだが、土地が80坪で、家は、たかだか平屋の20坪。父親の夢が、空回りしているような家でもあった。
大門は、かん抜きを掛けてあるので、小門を潜って入る。潜りながら。この子は、離さない。絶対に。呪文みたいに。でも、怒られる。やっぱり、駄目だ。きっと。ドキドキが、止まらない。子犬の温もり。視線を落とすと。子犬も、見上げる。やっぱり、絶対に…
いつもは、ただいま!って言って。玄関を開けて入る。ただ、その日は、父の書斎の洋室の前を回った。庭に入る。居間の和室へ、と。おずおずとした足取りで。戦前の家庭科教師で、和裁の仕立てや、講師などもしていた母は、大抵、居間で縫い物をしている。怖々だ。抱いたまま。お母さん、何て思うだろう。
がらっ。「あらっ!」ガラス戸を開ける。この辺りが、この家は、本当、中途半端だった。和室の六畳間が、二間続いているのだが、縁側がない。いきなり畳だ。
はっとした母の顔。「どうしたのっ⁉︎」顔をこちらにも向けて、手を止めた縫い物。「だって、ついてきちゃったんだ…」声を、絞ったけど。出て来ない。我儘な末っ子の自分だけど…
「しょうがないねえ…」「…」声が、やっぱり出ない。喉が、からから。「でも、うちでは、飼えないよ。」案の定だ。言われてしまった。でも。負けちゃいけないよ。この子の為だろう。お前のこの子の。抱きしめた、子犬の温もり。少し、警戒して。余計、自分にすりすりしてくる。「だって、こんなに小さいんだよ。」絞り出した。「ひとりぼっちだったんだ。」「それで、ついてきちゃうんだ。」「走って、逃げたんだけど。」「でも、ついてきちゃったんだよ。」「可哀想じゃないか!」もう、必死だった。だって、この子の生命が、掛かってるんだ。
母は、犬は嫌いだったが。末っ子の自分には、かなり甘くて。結局、押し切られる人でもあった。困り果てている母。でも、こんな可愛い子なのに。触ろうともしない。冷たい目だ。「…仕方がないねえ。でも、お父さんに聞かないと。」やった!取り敢えず、置いて貰える。
母は、まったく触ろうとはしないまま。でも、手助けはしてくれた。玄関に回ると、木箱と中敷きの端切れを、用意してくれた。水の入ったアルミ製の容器も。多分、脱脂粉乳を入れる給食の食器のお古だったと思う。三人兄妹たから、そんなものがあった。子ども部屋に、ランドセルを放り込んで、その子のところに、急いで戻る。怖がっているのか、ちっとも泣かない。箱の中のその子を、撫でていると、少し落ち着いたみたい。ちゃぷっちゃぷっ、と。水を飲み始めてくれた。大丈夫だよ、もう…
中学生の兄や、姉が帰って来た。二人とも、興味深々だ。触ったりもする。もちろん、自分が守って、触らせないけど。兄の方は、ちょっと、ふんっ、て感じ。長子の兄は、日頃から甘やかされる自分が、気に入らない。弟が、連れて来た犬なんて、ちょっと可愛いけど。絶対、言わない。姉の方は、素直に「可愛いね!」って。「ちょっと、触らせてよ!」子犬は、薄い茶色の毛色だった。お腹は、白い。鼻は、ひゅっと、長めで。脚も、長い方かな。細身。あっ、おとこの子だね。雑種だろうけど、典型的な日本犬な感じ。今から思い返すと、柴犬とか、そんな感じではあるけど、口吻が長いから、洋犬の血も入っていたのかも知れない。ただ、当時、大人気だったスピッツとは、似ても似つかない。そこがまた良い。何しろ、スピッツは、大っ嫌いだった。近づくと、無闇に、吠えついてくる。知り合いの家でも、入っていけない。それなのに、この子は。ずっと、ぼくのことを見上げてくれていて、でも、大人しい。抱っこすれば、すりすり。あったかい。でも… お父さん…
そうだったんだよな。父だったんだ。小学校教師で、学校では、優しいと言う評判だと言う父。軍隊の入隊時に、手に入れていた「共産党宣言」を持ち込んでしまったと言う程、戦前の社会主義運動に心酔していたような思想の持ち主だった。何しろ、兄や自分に、毛沢東の中国が、世界で最も進んだ国だ、などと吹き込む程だった。社会主義志向もあったとされるGHQが主導して、日教組が実践した、戦後民主主義教育の体現者のような人でもあった。しかし、家庭では、そうした進歩主義的とされる考え方は、皆には話すのだが、結局のところ、典型的な大正生まれの男でもあった。確かに、その時代の父親にしては、開明的で、優しかったとも言えたが。まず、母には、絶対的な夫だった。子どもたちにも、怒ると、普段の優しさとは一変して、体罰もある。逆らうことなどあり得ない父親だった。そうお父さんに… 納得して、許して貰わなければ、ならなかったんだよな。春の陽光が、今日も、燦々と溢れている。でも,子どもたちも,犬たちも。誰もいなくなった庭。花々を、眺めながら…
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