大昔の病院は、ある程度、外傷が治り、身体を動かせる段階になってから、リハビリが、始まったと記憶しています。それも、単に、リハビリ室に行って、リハビリを受ける感じでしたからね。リハビリなんて、そんなもんだと思っていました。
リハビリと言う事に、関して言えば、自分は、半世紀以上前の子どもの頃から、末子の甘やかされで、祖母の看取り介護などにも、一人、距離を置きました。父は、急逝で、母の晩年は、別居でした。ですから親族など、他人の介護の経験なんて、まったく、ありませんでした。現代のリハビリについての知識、認識など、まったくなかったのです。
療法士さんは、ご本人がいれば、車椅子に乗る介助も、看護師さんに変わってしてくれます。と、言うよりは、自分の回復状況を確認しながら、自分で、車椅子に、乗れるような指導を、してくれたと思います。
車椅子には、どうだったんでしょうか。多分、数日で、自分で乗れるように、なったと思います。これには、気持ちが、楽になりましたね。介助者を、呼ばずに、自分でトイレに行けるようになりました。トイレは、身障者対応ですからね。辿り着く事が出来さえれば、手すりがありますから、何の問題ありません。
健常者であれば、当たり前の事なのですが、凄く嬉しく感じます。他人を、煩わさないで済むと言う、気分的な解放感は、とても、大きなものでした。大昔の入院時の追体験でしたね。思い起こしました。
とにかく、やはり、これも、療法士さんのサポートの賜物でしょう。ただ、その時期からは、手術した膝を、曲げる訓練も始まりました。ほんの少しずつから、ですが。手術の傷は、まだ、出血が収まった程度です。削った骨は、修復段階の筈だ、と思っていました。大丈夫なのかな、と言う不安な気持ちは、もちろん、ありました。
でも、最初の二週間だそうなんです。少なくとも、手術以前の膝の曲がりを、取り戻す為には。そこで、あらかた、元の曲がりに、戻さなければ、ならないのです。腱が、固着して、動かなくなるとか、そんな事だったと思います。だから、皮膚や筋肉の傷、骨の傷は、傷として。悪化させない程度に、脚の可動域を、筋肉や腱などの可動域を、保持しておかなければならないのでしょう。
とにかく、頑張って下さい、と言う事でした。かなり煽られる、羽目になりました。特に、療法士さんに、診て貰っている時間だけでは、到底足りないとのこと。ベッドで、ごろごろしている時間を、なるべく削って頑張って下さいと言うことなのです。ああ、なるべく、ベッドに横になって、ごろごろしていたかったのになあ、って感じです。
まあ、車椅子で、トイレには、自分で行く事が、出来るように、なりました。脚があまり動かせない、最初の数日間は、ベッドのテーブルで、電動でベッドを起こして、食事をしていましたが。脚を、曲げられるようになって、ベッドに腰掛けて、ラックの引き出しテーブルを出して、食事するように、なっていました。取り敢えず、これで良いって、感じですか。
後は、ごろごろしていたくなってしまいます。この頃には、何とか、年金だけで、生活をなんて、思い始めていましたしね。そんな、自分の気持ちの後ろ向きな姿勢も、見透かされて、余計、療法士さんは、発破を、掛けてくれたのでしょう。
主治医の先生も、リハビリのアドバイスなども、少しは、してくれます。回診時に、少しね。でも、少しです。でも、担当の療法士さんが、手取り足取りのリハビリの、訓練、指導をしてくれるのです。前記のように、たまに、ちょっと、鬱陶しくは、あるんですけどね。
もちろん、療法士さんからの具体的な報告をうけて、主治医の先生は、リハビリ過程の確認と、新たな指示も、出したりしてるんだろうとは、思います。トイレの時に、ナースステーションを、通り掛かると、医師、看護師、療法士で、しっかりとした会議のような打ち合わせを、行っていました。治療の進捗状況、問題点、今後の患者ごとの治療方針の確認を、行っているのでしょう。
打ち合わせが、終わった後、療法士さんは、午前中に、まず一度、病室に来て、マッサージなどを、してくれます。介助されて、ストレッチなどもじます。一時間半位、じっくりと。出血や、動かさない事により、可動の悪くなった筋肉を、揉み解すのです。筋肉の可動域を、拡げて行く感じです。膝の屈伸だけではありません。脚全体の前後左右の可動を、良くして行きます。
自分が、車椅子で、単独で移動出来るようになると、午後も、リハビリ室に、行くようになりました。そこで、また、マッサージをうけます。その後、器具を使った運動を、させられるようになりました。こちらも、一時間位は、やりました。合わせれば、かなりの運動時間になります。しかも、病室にいる間も、自主トレーニングを、提案されています。とにかく、休みなく、出来るだけ、身体を動かせと言うことですね。
この辺りは、かつての医療と、現代の医療の違いは、歴然と、進歩していましたね。まあ、かつての自分は、骨折部位が、なかなか接合しませんでしたから。もちろん、現代であっても、なかなか、リハビリを思うように、出来なかったでしょう。しかし、現代なら、重いギブスを、抱えた状態でも、身体の骨折部位以外のリハビリを、例え、病床から動けなくても、施術や、リハビリの自主トレの指導を、して貰えたと思いますね。これは、予後を、改善出来る大きな進歩だと思いました。
to be continued
まだ、未明ですね。満月は、今晩のようですが。でも、目覚めると、素晴らしい明るい月夜でした。寝室は、二階ですが、アルミの雨戸を、少し開けてあって、外が、見えるようにしてあります。多分、自分は、閉所恐怖症と言う程ではありませんが、室外を確認出来た方が、より安心して、寝られるのだ、と思います。とにかく、ぱちぱちしてしまいました。
今朝の最低気温は、空港の観測値で、22.4℃でした。当地の最近の最低気温としては、高めです。ただ、熱帯夜になっていませんから、寝苦しくなくて、助かってます。最高気温は、午前中に、既に、31.1℃を、記録しています。かなり、蒸しています。
ただ、雲が出て来ていて、午後は、もう気温は、上がらないようです。天気予報は、小笠原諸島で、発生して、この関東平野直撃の可能性のある台風8号への注意を、呼びかけていますね。要警戒です。
今日は、午後これから、掛かりつけ病院で、高血圧での定期の受診をします。課題の尿酸値の検査も、薬を飲み始めましたので、受ける予定です。少し、時間が掛かりそうですかね。コロナワクチンは、この病院で、接種を受けますが、ぐずぐずしていましたから、一回目27日に、なってしまいました。別に、今日で良かったんですが、予定は、埋まってました。逆に、27日では、薬は、切れますし、主治医は、休診日です。自分の、ひたすら怠慢の罪ですので、仕方ありません。