見出し画像

日記、日々の想い 

地元の大古墳を、歩く

もう、延々と
キリのない散歩に
なってきていた
県立公園の一番奥
学習院正堂や、再現古墳


今までの散歩の
最果て迄
歩いて行った
素晴らしい桜並木
でも、なんだか
それでも、物足りない
とにかく、すべてを
振り払いたかった
のかも知れない
潜在的社会不適合者
そんな風に、自分を
自覚しているのに
結局、長年
会社員として
組織に、所属、従属
その代償として
社会の中の自分の存在
その保証を、受けていた
そう言うことなのだろうか
無職と言う、今の立場
それは、凄く
宙ぶらりんに、思える
何者にも、保証されない
そうなってみて
余りにも、自分は
あやふやな存在に過ぎない
その事実が、意識の底に
漠然とした不安となって
澱んでいるようだった
もちろん、具体的に
食べて行く糧を得る事
その手段を、失っている
自分だけではない
妻、子どもたち、いぬたち
家族、みんなを
食べさせなければ
ならないのに、だ
その不安も、重なる
重い、重い澱
その澱に
呑み込まれるように
澱みこむ気持ちを
再び、昂らせる
澱となって、澱む
あらゆるすべてから
自らを、解き放つ
おまえは、そう
決断していたのに
また、呑み込まれそうに
なってしまっている
それを、歩いて
歩いて、歩いて
何もかも、振り切る
だから、もっと歩く
朝に、家を出たけど
帰るのは、昼前で良い
それで、殆ど行った事のない
地元の大古墳への
小径と、入って行った
でも、小径に見えた
その道は、ずっと広い
背の高い林間の道だ
歩いて行くと
直ぐに、大古墳が
見えてきた

この古墳は
氏姓制度の造の
古墳になる
地方の豪族としては
最高位では、無い筈だけど
このT根川と、I旙沼に
囲まれた湖沼地帯の
里山丘陵は
豊かな自然の糧に
恵まれていたのだろう
その、育まれた自然の富が
広大な古墳群と
その頂点に君臨する
この巨大古墳を
生んだのだろうと思う

この古墳は
後進地域だった
東日本のこと
古墳時代より、下った
飛鳥時代頃に
造営されたようだ
この古墳の規模は
東日本最大で
その形状は
古墳最末期の方墳
古墳群では
やはり、県立公園外に
岩屋古墳に次ぐ規模の
浅間山古墳と言う
一般的な、前方後円墳がある

これは、岩屋古墳の
前世代の首長墓とのこと
古墳の形状が
最末期へと至る
過渡期の古墳なのだろう
古墳の麓に来ると
その巨大さは
改めて、圧倒される

この古墳は
方墳としても
国内でも、最大級らしい
当時、国内的には
後進地域であった
この地域の豪族
氏姓制度でも
連の下位に、過ぎない
造の陵墓が
天皇墓に
劣らない規模だったのだ
改めて、不思議な気がした
そして、今また
首都圏としては
辺境に過ぎないこの地が
当時に於いては
東国の中心地の
ひとつだったかも知れない
その思いは
都心に通勤する会社員として
ただ、寝床に過ぎなかった
この地を、もっと深く
探ってみたい
その思いを、強くした
残念なことに
今は、見学出来ない石室は
大昔に、盗掘されているらしい

ただ、この古墳は
間近に、ぐるっと
ひと回り出来る
墳墓を、取り囲んで
林がある
その林間には
前々年に、走っていた時
コースに入っていた
巨大な住宅地の家々が
垣間見えている
こんな近くを
日々走っていたのに
ここを、訪れなかった
自分は、本当に
視野が、狭いし
冒険心も、足りないな
時々には、また
ここを、歩いてみたい
そう思った
でも、今度は
"むら"を、歩いてみよう
        to be continued
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「懐古録」カテゴリーもっと見る