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日記、日々の想い 

東京五輪は、あの一度だけで…

五輪なんて
若いひとたちには
申し訳ないけど
東京は、あの一回だけ
こんな、コロナ禍で
こんな、滅茶苦茶なら
本当は
やらない方が、良い
いや、やっても
やらなくても、どうでも良いかな
まあ、自分は
都民になったことなんて
一度もない
あんまり、偉そうなこと
言えないけど
都内で、長く働いてたしね
生まれてから
ずっと、首都圏に
住んでるからね
少しは、言う権利は
あると思う
この、どうにもならない
感染症禍じゃ
やったって、良いことないよ
きっと…
小学生だった、あの頃
「三丁目の夕日」に出てくる
小学生みたいで
それで、そんな子は
学校には、いっぱいいて
人見知りの自分も
すっかりクラスに
馴染んでいた
あの、あの頃
あの、五輪の頃
学校は
良く分からないけど
寄付か、何かで
一クラス、一台ずつ
中古のテレビを
入れてくれたんだ
それで、金メダルを
取れそうな種目とか
友だちや、先生と
みんなで見て、応援したんだ
多分、先生に
怒られなくても
かえって、みんな
押し黙って
食い入るように
見入っていた気がする
きっと…
陸上とか、水泳とか
期待の選手が、どんどんと
負けちゃう場面、ばっかりで
何か、凄く
がっかりしてばかりだった
女子バレーボールが
回転レシーブの、スパルタ特訓で
優勝したのが
最高の、感動場面だったかな
あと、男子体操の
遠藤選手の優勝とか
跳馬の山下選手とか
色々、金メダルの場面を
うっすら、覚えてるけど
やっぱり、忘れられないのは
負けたところ
まだ、敗戦から
たった19年だったから
やっぱり日本は
弱いな、って
多分…
お家芸の柔道で
巨漢のヘーシンク選手に
がっちり抑え込まれて
虚しく、振り解こうとする
神永選手の苦しむ姿は
まるで、自分の苦しみ
みたいだった
マラソンを、走り終わった
アベベ選手が
でんぐり返しして
余裕、かましてるのに
必死で頑張る円谷選手は
競技場で、あと少しだったのに
ヒートリー選手に
非情に、抜かされてしまった
フィールドに倒れ込んだ
円谷選手は、倒れ込んだまま
ただただ、苦悶していた
その苦悶も、まるで
自分の苦悶みたいだった
でも、そのあとの表彰式
三位表彰台の、円谷選手は
凄く、晴れやかな笑顔だった
やっぱり、日本人でも
頑張れば、出来るんだよって
そんな風に思えた
戦争で負けた
父さんや母さんは
結構、自信なさそうだったけど
そんなことないって
あの時、思えた
…でも、円谷選手は
走れなくなって
次の五輪の前に
結局、自殺してしまった…
やっぱり、若い人たち
楽しみにしている人たちには
悪いけど
東京の五輪は
あの五輪だけで良いかな
多分…


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