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日記、日々の想い 

知らなかった地元。自転車で…

捷水路沿いを、走って行く
一度、橋を渡ったと思う
もう、随分と
記憶は、曖昧だ
結構な、大昔だからね
でも、休日ならともかく
平日の昼下がりの
サイクリングロードだ
人なんか、いる訳がない
それが、良い
まあ、もう
気には、してなかったけどね
本音は、飛び切りの人見知りで
精神的な、引きこもりだから
とにかく、その方が
気楽には違いなかった
この捷水路の辺りは
両側に、里山の山並み
山間の田園地帯で
多分、かつては
湖は、この山間にも
広がっていたはずだ
今は、分かたれている
北の沼と、西の沼で
一つの湖だったと言うから
どんな湖だったんだろうか
思いつかないくらいに
広大な湖だったんだろう
今の、自分には
とても、思いもよらない
無人のサイクリングロードを
ただ、疾走していく
でも、全然馴染みがない
そんな場所だから
少し、不安で
里山は、やがて
高さを増して
両側から、迫ってきた
渓谷みたいな場所になると
目の前に、橋が現れた
真っ赤なアーチ橋だ
よく見ると、水道橋みたいだ
手前に、ベンチがある
サイクリングロードの
休憩用みたいだ
取り敢えず、ここにするか
自転車は、通学用だから
前カゴが、ついている
タオルと、水筒を
持ってきてみた
それまでは、普通は
折り返す時には
休まず、ただ折り返して
帰って来ちゃったんだけど
でも、それじゃあ
なんだか、つまんないよな
そう思い始めていた
この、本当は
今住んでいる地元を
もっと、良く知って
しっかりと、感じたい
それには、ただ走る
それだけじゃないよな
だから、こんなベンチ
それを、望んでいた
自転車を、止めて
傍に、おいて
ベンチに、腰掛けてみた
なんて、気持ち良いんだろう❗️
春霞のたなびく
麗かな、よく晴れた日だ
みんなは、仕事に学校だけど
今の自分は、凄く自由で
誰にも縛られてない
里山丘陵の連なり
その山間に広がる
まだ、畦だけの田んぼ
沿って流れるこの水路は
ちょっとした川だ
その土手を、走るのが
このサイクリングロードだ
川風が、涼しい
もちろん、これだけ
走っただけでも
汗を、随分とかいている
喉も、渇いたな
自転車だけど
全力疾走してきたんだ
そのせいもある
でも、やっぱり
春も深まれば
気温も、高くなった
水分補給は、しないといけない
水筒には、スポーツドリンク
なんでもない、飲み物だけど
さあ、飲もう❗️
美味い‼️ …
でも、まだ
距離は、たいしたこと
なかったんだよな
あんまり、知らない土地を
奥深く行くのが
怖い、と言う気持ちもあった
このサイクリングロードの
下調べなんて
まったく、していなかったから
どこを、経由して
どこに、行くのか
何にも、分かってない
やっぱり、自転車は
走るよりは、ずっと
楽に、遠くに行ってしまう
だから、理由はないけど
なんか、不安だった
取り敢えず、ここまでだな
その日は、そこで
折り返してしまった
でも、後で調べると
そのベンチ迄は
自宅からは
たかだか、片道8.5km位
でも、終点迄は
片道約25kmもある
まだまだ、だったんだ
全然、先は長い
往復で、計算しても
17km位しかない
ジョギングは、朝夕で
合計18kmも、している
実際、走っていても
気分転換って、感じで
トレーニングしてるって
そんな、感じじゃない
ちっとも、苦しくないし
もっと、トレーニングらしく
頑張れる筈だなって
それと、やっぱり
せっかく、縁の出来た
この地域を
もっと、知りたい
あの先は、一体
どうなってるんだろうかなって…
        to be continued

 どんより、曇っていますね。今朝の当地の最低気温は、空港観測値で20.5℃でした。久しぶりに、20℃を、超えました。曇りで、放熱現象が、弱かったせいかも知れません。但し、日差しが、まったくありませんから、気温は、殆ど、上がっていません。午前中で、最高気温は、22.4℃でしたが。最高気温予測も、22℃。もう、上がらないのでしょう。

 ここのところ、朝の投稿で、自分のある種、世界観、宇宙観みたいなものを、書いています。まあ、自分の背骨でしょうか。自分は、まあ、勉強嫌いです。面倒だからです。でも、実証科学的な思考は、ものごころついてから、周囲の大人たちから、しっかりと刷り込んで貰いました。周囲に、宗教、或いは、それに類するものを、信仰する人たちが、いなかったことも、あるでしょう。

 まあ、人それぞれでしょうがね。自分は、ただ、子ども時代の擦り込みのおかげで、絶対に、神だの仏だのを、信じる行為を、とことん排除して生きてきました。神や、仏と言った存在を、想定出来ませんし、することも、ありません。

 強いて言えば、原初的な祖霊信仰に近いものは、あるのかも知れません。或いは、実証科学教、もしくは、実証主義教の信者とも言えます。あまり、熱心とは、言えません。まあ、勉強が、嫌いなので。科学を真剣に学ぶなど、子ども時代も、大人になっても、ただ、ひたすら、だるかったんですよね。アタマが、だいたい悪いしね。小難しい事を、考えて、学んで。だから、それで❓と。思っちゃうんですよ。とにかく、ああ。だるい、だるい‼️

 とにかく、思春期の自分などは。世間的な、意味だの意義だの、更には、価値だの。そんなものは、自分の帰依する"なにか"は、決して、裏付けてくれることなどないと、絶望していた訳です。どうしたら、良いんだろうな、と。でもね、やがて。どうでも、よくなりました。だって、何事も、根拠もなくて、裏付けられることもない以上もう深く考えずに、あらゆるすべては、適当に、と言うことで。適当に、生きてきました。適当は、本当、楽ですよね。まあ、今後も、死ぬ迄。適当に、で行くつもりです。








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