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日記、日々の想い 

東京、多くの時間を…



 7月17日は、東京、の日だそうですね。多くの時間を、過ごした街だったな、とは思います。首都圏ですが、ちょっと地方の街の出身の自分には、そんなに身近な街でも、ありませんでした。とは言え、高校を出れば。進学にしろ、就職にしろ。実家では、末子の自分には。ぐずぐずしていると、何となくだったんですけど。都内に出るしか、道は残されていないような感じに、なってしまった気が、します。
 やはり、中規模位の都市では、家業を継ぐとか。或いは、それなりに真面目に、真面目だったり、不良だったり、でもしてないと。街に、残るのは、難しいんですよね。でなければ、余程の引きこもりとか。半引きこもりでは、ダメです。
 勉強もせずに、幽霊学生で、学校に在籍した時期。やがて、就職。でも、ふらふらしていたから、定職に就けずに、バイト。だるいので、都内は要らない。なるべく、通勤時間の掛からない県内、と思っていました。満員電車は、とにかく、願い下げでした。
 でも、彼女もいるし、周囲の圧力も、あるから。せめて、正社員を。で、探すと。無いよ❗️都内しか。まだ、日本が、オイルショックから、やっと立ち直ったばかりで。パブルの時期には、まだ、暫く、時間が有りました。都内で、仕事、探すしか無い。ああ、だるいなあ…
 と言う事で。予備校から大学で、通うようになっていた都内に。店頭販売の仕事で、何とか、正社員。やがて、妻絡みのコネで、都心のアパレル商社へ転職。そこで、長年、勤めました。本社は、都心だったのですが。
 通勤が、楽になる為には。都内に、新たな住居を持ちたいところです。しかし、住居費が、高過ぎますよ。一方、K県には、生まれ育った馴染みもあります。住居費も、都内よりは安い。K県内の政令指定都市の二大都市のアパート、マンションへと、転居していきます。そこからは、都内の職場へと、延々。超満員電車で、日々通勤する羽目に、なってしまいました。
 いやあ、だるだるですね。超満員電車で、延々なんて。しかも、都心へ降り立てば、人混み。何処へ行こうが、人混み。自分自身は、社会不適合者だと、思っていたのですが。東京は、郊外の、生まれ故郷の街と比べると、とにかく何処へ行こうが、人混みです。ああっ,やっぱりだ。社会不適合者には、だる過ぎます。
 でも、ふらふらしていた学生時代に、少し、気づいていた事も、ありました。確かに東京は、結構、人波に揉まれ続けたりは、します。でも、人波、人混みに、紛れられると言うことも、あるんですよね。自分の存在を、半ば、消せるみたいな。他人から、意識されないんです。鬱陶しさが、あゆません。
 ぼけっとしてたりすると、肩がぶつかったりして、言い掛かりを、つけられたりは、します。でも、気をつけて、上手くかわして歩いていれば、かえって、あるゆるすべてと、ほぼ無関係で、いられる。と、自分は、学習していました。
 お金は、ないんです。でも、住居を郊外に置いておけば。都内には、飲食店など、金の掛からない立ち寄り先は、それなりに、有りますからね。安上がりに、上手く暮らす事は可能なのです。彼女、妻のことですね。あっちへこっちへ、デートしてたりしてもね。お金は、あんまり、掛かりませんでした。
 要するに、引きこもりだろうが。超貧乏人だろうが。居場所を、確保する事は、可能と言うことです。かえって、故郷の街何かだと、引きこもってたりしたら、あいつ何してる❓となると、思います。ただ、転居を続けたK県の団地やマンションなどは、都内と変わらず、存在を消していられましたがね。
 とにかく、結婚して、住居を借りて、やがて買って。子どもが、出来て。夜から、朝迄と。休日と。それ以外の時間は、通勤電車で、行き帰りして。大半を、都心部で、数十年と、過ごすようになったのです。
 決まった時間に、起床。もう、朝が、弱いなんて、言っていられません。少しの食べ物を、口に押し込んで。駅迄、歩くとか、チャリとか。駅のホームで並ぶ。電車に、押し込まれる。満員電車に、押しひしがれて、揉みしだかれます。毎日、毎日。
 やがて、人波に、押し出されます。都心の駅の、ホームです。押されながら、歩きます。乗り換えは、ありました。会社のある都心環状線の駅で、また押し出されます。その流れで、会社迄の道です。会社の裏口に、滑り込みます。痛い思いをしたことなどもあり、やがて、人より少し早目の出勤になりました。それで、あ〜あっ、仕事だよ。ルートセールスと言うか、管理営業と言うか。そんな、仕事です。
 飛び込みセールスのように、気は使いませんが、あんまり合わない取り引き相手でも、ひたすら、我慢です。百貨店が、取り引き先でしたから。皆、大手企業の社員で、威張ってます。出入り業者などには、ひたすら偉そうでした。
 取り引き関係の優位を利用したパワハラ、モラハラなんか、そんな批判的な言葉すら無く、当たり前に、横行していた時代でしたからね。ただ、自分が、勤めていたアパレル商社も、上場の大手企業でしたから、嫌がらせを受けても、余り、理不尽な要求迄されなくて済んだので、自分如きでも、何とか、持ち堪えたのでしょう。
 いや〜な会社での事務作業。でも、会社には、徐々に馴染んで、同僚との、やや楽しめな会話。昼食。
取り引き先回り。管理する派遣販売員の強かな女性たちは、ひたすらに、宥めすかします。取り引き担当者との、気の重いやり取り。交渉。
 まあ、でも、取り引き先に、気の合う人たちもいます。楽しい会食などを、度々したことも事実です。偶には、若い派遣販売員が、いたりして。まったりな時間も。これは、取り引きの女子社員ともあります。でも、絶対に、一線は、踏み外しません。何せ、踏み込まない、臆病な性格ですから。
 ただ、周囲は、女性90%以上に、囲まれている職場ですからね。何か、不思議でした。社会不適合者で、取り分け、女子とは、上手く関われなかった筈の自分が、周囲を、女性に、取り囲まれているような感じでした。同僚たちは、60%、いや、90%以上は、不倫しているんじゃないかって、感じでしたから。
 疎くて、臆病な自分は、あまり気がつかないんですけどね。まあ、でも、そんな遊び人集団の同僚に、囲まれていた訳ですから。夜の飲み会とかが、僅かに。東京、都内で、実際の殆どを、生活していた自分にとっては、街としての東京を、感じる時間になったのかも、知れません。街の呼吸を、感じるような。
 色々、はしゃいだり、喧嘩したりなどなど。その過程で、街の、多少危ない世界にも、触れることも、あったかも知れません。でも、基本、臆病で、用心深い人間ですからね。殆ど、何事もなく、数十年の年月、時間を過ごした気がします。
 自分にとっての東京を、振り返ってみるのですが。通勤、仕事の長い時間を。やや、殺伐とした山あり谷ありの苦痛と、稀な快感。無機質な日常を、過ごしていただけだったのかな、と。お洒落な、憧れられるような場所で、仕事をしていたとしても。裏に回ると、殺風景な光景、時間しか、感じる事は、ありませんでした。
 結局、こんなお題を、頂きながら、過ごした時間の長さの割に、生活の色を、語る事が、出来ませんでしたね。ただ、東京という街に、もっと根ざして、或いは、浮き草としてでも、ずっと漂っているような。そんな人たちは、いるのだろうと、思います。その人たちにとっては、東京は、もっと、豊かな彩色に、彩られた街なのだろうと、思っています。
 ただ、自分のように、生きている時間のかなりの時間を、その場で、費やしながらも、街の外に根差すことを望み、ですから、浮き草にも、ならずに、そんな人間も、多く存在する街と言う感じが、します。
 だから、過ごした時間の割には、街に拘りを、持てない。街で、熱を持って生きるひとたちもいれば、ただ、訪れて、時間を消費して、冷血にまた去って行く、自分のような存在も許される。熱気と。冷めた殺伐とした日常とが、混在した街だと言う気が、しています。

 当地は、梅雨明けの真夏らしい天気に、なっています。ただ、空港観測値の最低気温は、20.8℃。高くは、ありませんでした。寝づらいようなことは、なかったですね。最高気温も、現在まで、30.6℃。多分、これ以上は、上がらないでしょうね。耐え難いような暑さには、なっていません。ただ、明日、明後日は、もっと上がるようですから、熱中症には、気をつけたいと思います。




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