今日は、七夕ですね。新暦で、と言うことになります。毎日、書き続けていた話題を、ちょっと、中断して、七夕ネタをぶち込みたいと思います。
七夕と言えば、織姫と彦星の伝説がありますね。織姫と彦星は、夫婦なのですが、働きもせずに、年中いちゃついていた訳です。それで、引き離されてしまいます。ただ、一生懸命働くと、一年に一度、天の川を渡って、再会出来るようになったと言うお伽話です。悲恋物語に思えますが、儒教的な、戒めの話のようです。
織姫が、ベガ。彦星が、アルタイル。両方、一等星ですよね。古代の人たちが、天の川銀河を挟んで、輝く一等星を眺めて、そんな物語を空想したのだとすれば、想像力の豊かさには、敬意しかありません。
自分は、浅学ですが、七夕は、夏祭り、或いは、盆行事の一種かな、と思ってます。だいたい夏のそんな時期にやりますよね。星祭なので、先祖供養の意味などもあるのかなって、気がしてます。あの、七夕の竹飾りは、精霊流しの船を、供物などで飾ったりする習慣などと、似てますよね。
日本一の伝統と規模の仙台の七夕祭りは、旧暦の盆の時期にありますね。東北の三大祭りの一つでもありますが。三大祭り、皆、同じ時期ですね。やはり、盆行事的な、先祖の供養の一面が、あるのかも知れません。そんな風に、思ってます。
現代の日本でも、盆行事、休暇などは、未だに、旧暦に従って行っていますね。これは、新暦で行うようになっている正月行事、休暇などとは違っています。もっとも、首都周辺では、盆行事を、新暦で、行なっていたりもします。
これは、やはり、世界基準に、日本をしようとした、明治政府の意考が、強く働いたのかも知れません。でも、首都圏でも郊外のK県の県央地区にあった自分の故郷の街では、菩提寺も、当然、檀家の実家も、旧盆で、やってました。何か、周囲では、新暦、旧暦でやる人たちが、入り混じっていたような気がします。
ただ、自分の故郷の街も、七夕祭りは、新暦で、行っています。これは、現代の七夕は、世間的には、むしろ新暦で祝うのが、普通になっているようですから、結構普通とも言えます。新暦の7月7日は、新暦のお盆の時期にも、近くなりますね。
故郷の街は、市が、運営主体になって、七夕祭りを、大々的に開催しています。海軍火薬廠を中心とした軍需工業の街で、大戦時の空襲によって、大きな被害を受けたこと。その戦後復興を、目指した事に、由来しています。
自分の生まれる少し前の話です。地元商工会が、主導して、始まりました。だがら、自分が、遊びに行った子ども時代には、まだ、始まって間もない、歴史のない、作られた祭りと言う印象でした。
でも、子どもの自分などには、関係ありませんけどね。いつも、喜んで楽しんでいました。仙台の七夕祭りを、手本にしていると、聞いていました。でも、昭和30年代には、あっと言う間に、国内でも、屈指の集客力を誇る祭りに、成長していました。
今にして思えば、復興を志した地元商工会の必死の努力があったのだと思います。ただ、その盛況ぶりに苛立っただろう、本家の仙台などからは、商業主義の偽物の祭りと、揶揄されていたような記憶が、あります。
ただ、その後、各地で、有名な祭りを模した祭りを、街起こしの企画として、開催するような事は、盛んに行われるようになったと思います。その意味で、故郷の、あの祭りは、先駆的な試みだったのかな、と思ったりもします。
七夕には、学校などで、願いごとを、短冊に書いて、ささやかな竹飾りを、作った記憶もあります。普通のひとは、そんな感じの思い出ではないでしょうか。
でも、やはり、自分の思い出は、あの人いきれと、喧騒、雑踏の故郷の街の祭りの印象ですね。宵の人混み、露天の金魚掬いや、綿飴とか。そして、あの祭りも、既に70年の歴史は、重ねてるはずです。短いなりに、歴史は、積み重なっているのでしょうね。
ただ、多分、去年、今年は、まともに、開催出来ていないのでしょう。自分は、もう、子どもが、小学生だった頃以来、ずっと行ったことは、ありません。もう、母も、兄もいなくなった街には、二度と行くことも、ないでしょう。
今日も、どんよりした曇りです。熱海など、災害が相次いでいるようですが、今年もまた、荒れた梅雨時になっていますね。せめて、農作物が、不作にならない程度に、収まって欲しいものです。
今朝の、当地の最低気温は、空港の観測値で、22.1℃でした。かなり、高かったですね。でも、日がないせいか、かなり、肌寒く感じました。今も、蒸し暑さは、ないですね。最高気温予測は、29℃と、高くなっているんですが。本当に、そんなに、上がるんでしょうか。
ただ、昨日も、油断していて、ちょっと、身体を動かし過ぎたら、滂沱の汗。そのあと、熱中症ではないかと思う程に、気分が悪く、気怠くなってしまいました。加齢で、体温の調節機能が、落ちているのは、間違いないでしょうから、気をつけたいと思います。