年齢の割には、デジタルにも、ある程度、対応してきたつもりだが、20代迄はまったく縁のなかった、やはり、典型的なアナログ人間。
この報道ワイドショーは、詳細に紹介してくれているが、最初の頃の話題で、引っ掛かって、後は、あんまり、頭に入ってこない。ネットで、簡単に稼げる投資に携わる若者たちの話だった。米国にも、中国にも、インドにも、ボーダレスに、いっぱいある話らしい。とっても、薔薇色。何しろ、職場にも縛られない、センスがあれば、デジタルコンテンツを駆使して、自由な時に、自由に稼げると言うことらしい。
しかし、これは、我々の年代にもいる投資家と変わることはない。聞こえは綺麗だが、虚業だ。その儲けを産む為に、物作りなどをして、汗水垂らす人間が、別に遥かに多数いる。資本主義の究極の負の側面ではないのか。格差の極みだ。
物作りの人間や、現場でサービスなどをさせられる人間が、僅かな報酬を受ける天上では、金を動かすだけの投資家が、代価の殆どを得て行く。ただ、新たな世代は、デジタルコンテンツを、少ない代価で、容易く操ることが出来て、その能力、感性だけで、その勝ち組の立場に立つことが出来る。その富を得ることに、人種も、性別も、簡単に乗り越えられる。能力だけが問われる究極の平等が、実現出来るような、未来の語られ方をしていた。ある側面は、そうかも知れない。しかし、結果、結局、操る側と、操られて汗水垂らす側とは、より簡単に分けられる。それだけ。或いは、汗水垂らすのが、すべて機械で済むようになれば、汗水垂らしていた人間は、要らなくなる。もう、60億も、人間は、要らなくなるだろう。廃棄されるか、持てるものの恵みでも受けて、愛玩動物のように生き延びるのか。まあ、そんな構図は、アナログ時代から、とっくにあっただろうが。それがより先鋭化して、人が地道に、自分の場所で、耕し、育て、収穫して生きるような生き方が、許されない世界になるのではないか、とか思えてしまう。明るい未来のように制作している番組のあり方には、とても同意出来なかった。
とにかく、何だか、気持ち悪い。若い方々には、何言ってんだ、と思われてしまうのだろうが。インフルエンサーと呼ばれるような人々の在り方から、国境、人種、宗教も、主義主張も乗り越えて、新たなムーブメントが生まれる可能性を、若い出演者が、語っていた。それは、そうなんだろう。しかし、生身の人間が、ネットの仮想空間に、まるまる存在出来る訳ではない。だから、様々な新たな矛盾、犯罪なども生まれてくる。その負の可能性を、殊更に云々するつもりはない。自分のような老い先が見えてきた人間でも、こうしてSNSを利用していたりするのだ。世の中は、確実にその方向に向かい、対応出来ない自分のような老人は、隅っこで、朽ち果てれば良い。
しかし、結局、人は、人類は、進歩していると思っているのは、その時々の人々だけで、変わらず同じように、泡のように生まれては、消える儚い営為に生きているに過ぎないとも思えた。
追い付けない世代的な嫉妬も認めるとして、自分は、とても肯定的に暖かく見守るほどの気持ちには、なれなかった。