たけじいの気まぐれブログ

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3月3日、ひなまつり、雛飾り、あれこれ

2024年03月03日 06時42分22秒 | 懐かしいあの曲

今日は、3月3日、「ひなまつり」、
日本人ならば、誰しも、子供の頃から慣れ親しんでいる年中行事だと思うが、
昭和20年代、30年代、北陸の山村で幼少時代を過ごした爺さん、
当時は、村落の近所の家や親戚の家等で、「雛飾り」を設える等して、
「ひまなつり」をする風習等は、全く見られなかったような気がしている。
子供心に、「雛飾り」「ひなまつり」等は、都会の裕福な家がする行事?
なんだと、思い込んでいたような気さえする。
「あかりをつけましょ、ぼんぼりに・・・♫」
ラジオから流れてくる童謡歌手が歌う「うれしいひなまつり」に、
着飾った女の子と雛飾りのなんとも優雅な情景を
想像したりしていただけだったように思う。
成人してからも、我が家だけでなく、義姉弟の家でも、それぞれ男の子2人、
8人が全て男の子、女の子は皆無だったこともあり、
「ひなまつり」「雛飾り」には、縁がなかった身内、親族。
当然、興味関心が無いままで、老年を迎えた。
最近は、全国各地で、個々の家庭での「ひなまつり」「雛飾り」ではなく、
大々的な「ひなまつりイベント」が催されており、
毎年、「ひなまつり」前後には、テレビや新聞等の報道や、
相互フォロワー登録している方々のブログ等から、
そうした催しの情報が耳に入り、
多少は、「ひなまつり」「雛飾り」に纏わる話題にも
付いて行けるようになったのかも知れないが・・・。
「3月3日」という響きから、ふっと脳裏に浮かぶ曲は、やはり、
童謡、「うれしいひなまつり」。

今更になってネットで調べてみると
「うれしいひなまつり」は、1936年(昭和11年)に、サトウハチロウ作曲、河村光陽作曲で発表された童謡で、2007年(平成19年)には、「日本の歌百選」に選出されている曲だった。1935年(昭和10年)に、サトウハチロウが、愛娘に雛人形を買い与えた前後に作詞し、それに河村光陽が曲を付け、レコードし、発売されたのだそうだ。

「うれしいひなまつり」 (YouTubeから共有)
 


「ひなまつり」「雛飾り」で、
「ブログ内検索」してみた。
予想通り、関連する記事は、極めて少ない。
コピペ、リメイク等して、振り返ってみた。


(1)遠州可睡斎ひなまつり
6年前の2018年3月に、近くに住んでいる義姉(妻の長姉)を誘い、三人で、当時まだ老人介護施設に入所していた義母に面会する目的で、静岡県浜松市まで、車で出掛けたことが有った。
すでに後期高齢ドライバーだったこともあり、そろそろ長距離運転する最後の機会になるんじゃないかという思いが有ったが、せっかく浜松まで出掛けるのに、高速道をただピストンするだけではもったいない?、との思いも有り、無理せず、行き帰りの途中で2泊し、「小さな観光旅行」を兼ねるつもりで出掛けたものだった。
途中、立ち寄った、静岡県袋井市の「遠州可睡斎ひなまつり」もそのひとつ。
義姉、妻にとっては、郷里に近い、馴染みの「可睡齋」だったはずだが、「ひなまつり」は初めてとのこと、感動が大きかったようで、未だに話の種になっている。
撮影自由だったこともあり、やたら カシャ、カシャ、写真を撮り、その一部を、YouTubeにして、アルバム代わり、いつでも、振り返り見ることが出来るようにしている。
先日、たまたま、テレビのニュースか何かでも、紹介されているの見て、
今にしてみれば、
あの日あの時、思い切って立ち寄って、本当に良かった・・・、と、
思ったりしている。

YouTube 「追想アルバム 遠州可睡斎ひなまつり」

(参照・引用)
可睡斎の由緒・縁起
👇
こちら


(2)甘草屋敷
7年前、2017年3月に、山歩きの帰りに、山梨県塩山市の「甘草屋敷」に立ち寄ったことがあった。ちょうど、「ひな祭り」イベント中で、印象に残っている。

振り返り記事
「甘草屋敷」
👇
こちら


(3)目黒雅叙園
7年前、2017年2月に、旅行会社の格安バスツアーで訪れた「目黒雅叙園」、
それまで、まるで、知らなかった、九州地方のひなまつりを知り、目から鱗・・・だった気がする。

振り返り記事
「目黒雅叙園」
👇
こちら


 


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