たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

セナコウチ? (再)

2022年11月05日 09時35分12秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、10年前の2012年11月24日、gooブログに引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に書き込んでいた記事、「セナコウチ?」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」、早速、コピペ、リメイク(再編集)することにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


「セナコウチ?」

長年、空き家になっていた北陸の山村の実家を取り壊したのも、未だに、つい最近のことという気がしている爺さんだが、指折り数えて見ると、もう10年前のことになってしまった。
「光陰矢の如し」・・、だ。
実家の取り壊し、解体工事実施前の数年間は、家財や農機具等の分別整理、廃棄処分作業のため、年に数回は通ったものだったが、毎度のこと、子供の頃に馴染んだ懐かしい物が続々と出てきて、その都度、「おお!、懐かしい!」を連発、処分する前に写真を撮ったりしたものだった。ある日、作納屋(さくなや)を片付けていた際に出てきた、「セナコウチ?」も、その一つ。たしか、子供の頃、「セナコウチ?」と呼んでいたような気がする物だったが、記憶曖昧・・。

昭和20年代、30年代、まだまだ貧しかった地方の農村では、男の子で、小学校高学年、中学生、高校生ともなれば、一人前の男衆として、農作業を手伝うくらい当たり前だった。M男も、弱弱しい体質ではあったが、田植え、稲刈り、畑仕事、芝刈り、薪木運搬、等々、良く手伝ったものだ。
その「セナコウチ?」とは、重い物を背負う時に、縄が肩や背中にくいこむ痛さを和らげるための装具で、「背中当て」とでも言うべきものだった。M男も、実際、これを背中に付け、刈り取ったばかりの重い稲の束を背負い、稲架場(はさば)まで運んだり、裏山で伐採された雑木等を薪(たきぎ)にするため、背負って山道まで担ぎ下ろす仕事をしたことが有る。縄が食い込む痛さを和らげるとは言っても、子供の肩や背中には、この「セナコウチ?」自体が痛く、顔をしかめながら、歯を食いしばり、何回も何回も往復した記憶が有り、今でもその辛さを忘れることはない。多分、今日では、各地の民俗資料館等に展示されているような類の農村の装具となってしまっていると思われるが、出てきた「セナコウチ?」、カビがはえていたものの、まだ、しっかりしていたが、実家取り壊しと同時に廃棄処分した。
当時はまだ、冬期、雪に閉じ込められた山村の農家では、冬の仕事として、稲を脱穀した後のをトンテンカン、トンテンカン、叩いてやわらかくし、俵(たわら)や筵(むしろ)、藁草履(わらぞうり)、藁靴(わらぐつ)、セナコウチ?、等を、手間暇掛けて手作りする暮らしが有ったのだった。
ちなみに、新潟県の佐渡では、「セナコウジ」と呼ばれていたそうで、同じ北陸地方なので、記憶曖昧な「セナコウチ?」も、あながち見当違いの呼び方ではなさそうである。

実家の作納屋に有った「セナコウチ?」

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