(ネットから拝借無料画像)
3年前、2017年11月に 母親は 94歳で永眠した。
母親は 父親死後も 長年 北陸の山村で一人で暮していたが、
病気や認知症状の度合い等から 一人暮らしが困難となり
13年前の12月、一旦 神奈川県在住の妹宅に同居し、その後施設に入所、入退院を繰り返しながら 10年間を生き抜いた。
その間は それまで 出来なかった母親との触れ合いを心がけ
出来得る限り頻繁に 妹宅や施設、病院に通ったように思っている。
丁度そんな頃に それまでまるで興味関心も無かった川柳に出会い、
単なる五七五言葉並べ遊びではあったが
母親への思いをも 句にしていた。
逝ってしまった後にも、何句か 作っていて
メモが残っている。
拙句、駄句ばかりだが、3年目になる今、
せっかく作った五七五、改めてブログに書き留め置くことにする。
「母の句」
うるさいと嫌った母の手を握り
子供の頃(反抗期)、勝ち気でうるさい母親と激しく対立していたが・・、
北風に最後の一葉耐えて揺れ
晩秋、庭の柿の木の葉がパラパラ散って、最後の1枚が母親に重なって
九十路(ここのそじ)超え尚子等(こら)に風邪引くな
車椅子の母親が、別れ際に発する言葉は いつも「風邪引くな」だった。
三代を生き抜いた手の力知る
毎度別れ際に握手していたが、大正昭和平成を生き抜いた手は、最後まで力強かった。
母を連れ帰る故郷の雪の墓
骨壷を抱いて、すでに帰る家も無い北陸の郷里へ 新幹線で帰郷した時の句。
全うし穏やかなりし母の顔
母が逝く最後の一葉落ちるよに
天高く母を乗せて千の風
少女時代の東京の空へ?、住み馴れた北陸山村の空へ?
煙となり母青空に召され逝く
藤沢市の火葬場で 快晴の空を仰ぎながら・・・。
安らかに眠り給うや秋の日に
三代を揺れて灯した炎消え
「安らかに眠り給うや秋の日に」が、さりげないけどググっときて・・
本当に、おやを亡くした人にしか、おやを亡くしたかなしみはわからないってクリンは思いました🐻・・
「九十路」で、ここのそじ、と言うのですね!初めて知りました~~
お母さまを思う気持ちが溢れるブログを私の母と重ねて読まさせてもらいました。
読まれた歌のすべてが重なります。
私も北海道から一人暮らしの母を連れてきて10年間一緒に暮らしましたが昨年97歳で亡くなりました。
妻には苦労を掛けましたが、最後に一緒に生活できたのは良かったと思っています。
コメントいただき有難うございます。
コメントいただき有難うございます。
とても心に響く句ばかりです。
私も、以前 母のことを書いた駄句を載せましたが、汗物でした。
takezii様は、センスが良いと思います。
男性は、お母様の事を、とても大事に思ってますね。
<煙となり母青空に召され逝> ぐっときます・・・
コメントいただき有難うございます。
こんな月並みな言葉しかけません‥だから黙って帰ります。えっ黙ってなかった?せめて足跡を残して帰りたい・・・。
takejiiさんのセンスの良さはもうずっと前から・・の実績の元でしたね。
私も1句。中学の時に詠んだ一句です。アッこれは俳句かもしれない・・・大好きな先生が俳句をされていましたので。
夜なべする母の横顔とがりおる お粗末でした。
夜なべする母の横顔とがりおる・・・、
中学生で この句、すでに その才の片鱗を示しているではありませんか。
これからも良き手本でいて下さい。
コメントいただき有難うございます。