gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがある。「アクセス数」を気にしてでのことではなく、すっかり忘れてしまっているような、随分前に書き込んだ古い記事にアクセスが有ったりするのを、楽しみにチェックしている風なのだ。
そんな記事に目に止まった瞬間、「エッ、こんな記事にアクセス?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりしているのだ。
「gooブログ」=「記憶力がまるで無くなっている爺さんの自分のための記憶補助ツール」と決め込んでいる爺さんには、「アクセス解析」もまた、便利で有難いツール、大いに活用しているという次第。
先日、7年前に、ブログ・カテゴリー「懐かしいあの曲」に書き留めていた記事、「坊がつる讃歌」にアクセスが有ったことに気が付いた。
「おお!、懐かしい!」・・、早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。
「坊がつる讃歌」
今から9年前、2015年5月に、当時はまだ、時間的余裕、精神的余裕の無い自営業を続けていた頃だったが、どうしても1度は訪れてみたいと思っていた九州の「九重山」を、妻と二人で訪れたことが有った。
すでに、「その内いつかなんて言ってられない」歳になっており、「今でしょ!」と 清水の舞台から飛び降りる思いで、訪れたものだったが、今となっては、「九重山」もまた、二度と訪れること叶わない思い出の山となっており、あの時、思い切って訪れて、本当に良かったと思っている。
ギリギリの日程だったため、九重山の一角、平治岳、大船山、坊がつるを、日帰りで巡り歩いただけではあったが、天候にも恵まれ、それなりに満足して帰ったような気がしている。
「九重山」と言えば、「坊がつる讃歌」、
あの四面山なる「坊がつる」を、「坊がつる讃歌」を口ずさみながら歩いたことが思い出される。
「坊」とは、鎌倉時代に開かれた「九重山法華院白水寺」を指したもので、明治時代に「法華院温泉山荘」となり現在に至っている。
「つる」とは、川の有る平らな土地を意味している。
つまり、「坊がつる」とは、「法華院近辺の湿地帯」ということになる。
今更になってネットで調べてみると
「坊がつる讃歌」の原曲・元歌は、広島高等師範学校山岳部の第一歌「山男の歌(広島高師の山男)」なのだそうで、これを、九州大学の学生が、「坊がつる」を題材にして替え歌にしたものなのだという。その替え歌がその後、主に九州の山岳愛好者の間に広まり、さらに、1977年には、歌手の芹洋子が、野外コンサートで阿蘇山麓を訪れた際に、宿舎で若者達に、この替え歌を教えてもらったのがきっかけで、翌年には、NHKの「みんなのうた」でも紹介され、シングルも発売され大ヒット、全国的に知られるようになったのだという。
芹洋子のイメージで、抒情歌?の雰囲気の曲に聞こえるが、歌詞や旋律には、旧制高校時代の寮歌の匂いも漂っているような気がして、初めて聞いた時から、お気に入りの曲のひとつになってしまっている。
「坊がつる讃歌」・芹洋子 (YouTubeから共有)
「山男の歌 (坊がつる讃歌の元歌、広島高等師範学校の山岳部歌)」・緑咲香澄
振り返り記事
古い写真から蘇る思い出の山旅
「九重山」
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こちら
こちらにコンサートの際、出かけました。
既に、何十年も前です。
その後、CDを買い何時も聴いています。
山には、行ったことはありませんが、その情景は瞼の中に浮かびます。
星の瞬きに惹かれます。
それまでは、「坊がつる」も知らず分からずだったような気がします。
高山の山小屋で、夜空を眺めたこと、数回有りますが、確かに、外界?で眺めるのと、まるで違い、感動的にもなりますね。
コメントいただき有難うございます。
ありがとうございました。
老年になってやっとの思いで、初めて訪れた私共にすれば、羨ましい山歴です。
山の思い出というのは、また格別ですよね。
それにしても、ウオーク更家さん、健脚で、よく歩かれてますね。
近くをちょこっと、7~8000歩が限界になってきている私共、恐れ入っております。
コメントいただき有難うございます。