足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、2~3年前、「春」、「夏」、「秋」、「冬」、季節を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めたが、続いて、最も数の多い、「恋」を詠んだ歌を取り上げて、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにしている。
しばらく中断していたが、秋も深まりつつある季節、再開することにした。
百人一首で「恋」を詠んだ歌 その42
忘れじの 行く末までは かたければ
今日を限りの 命ともがな
出典
新古今集(巻十三)
歌番号
54
作者
儀同三司母
歌意
「いつまでも忘れまい」と言われる言葉が
遠い将来までも変わらないということは、
難しいことですから
逢えて、その言葉を聞いた今日を最後として
死んでしまいたいと思いますよ。
注釈
「忘れじの」は、「いつまでも忘れまいと約束なさった」と訳す。
「行く末までは」の「まで」は、物事の及ぶ限度を示す副助詞。
「遠い将来までは」と訳す。
「かたければ」=「難ければ」、
「難しいことだから」と訳す。
「命ともがな」は、「そういう生命であってほしい」と訳す。
男は、女性を前にして遠い行く末を誓うが
女は、はかない恋の終わりと共に、
傷つく自分の姿が目に浮かんでくる。
それ故にこそ、今日の幸福に命を掛けようと願う、
刹那的愛に燃え上がる王朝女性の恋の哀歌であり、
通い婚(男が女の家に通ってくる結婚形態)の風習の中に生きる
平安女性の絶唱と言える作品。
儀同三司母(ぎどうさんしのはは)
従二位高階成忠(たかしななりただ)の娘で、
高階貴子(たかこ)のこと。
円融天皇の朝廷に仕えた後、関白藤原道隆の側室となり、
儀同三司藤原伊周(これちか)を生んだことから、
別称で、「儀同三司母」と呼ばれた。
藤原伊周の他に、藤原隆家、一条天皇の中宮定子(ていし)を
生んでいる。
因みに、中宮定子は、清少納言が仕えたことで知られている。
「儀同三司(ぎどうさんし)」とは、
「儀」(儀礼のこと)は、「三司」(太政大臣、左大臣、右大臣)と
同じという意味で、「准大臣」のこと
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
振り返り記事
(「中宮定子」で、ブログ内検索)
「枕草子」
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こちら
(つづく)
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