我が家の猫額庭の北東の隅っこのフェンスギリギリで、大きくなり過ぎて、毎年やむを得ずバッサ、バッサ、剪定している柿の木が1本有る。その直ぐそばに、やはり、大きくなり過ぎて困っているキウイが有り、柿の木は、キウイの枝蔓葉に覆い被さられる格好になっている。日が当たらず、しかも、無茶苦茶な剪定をするせいもあり、花は咲いても全く実が生らなかったり、生っても実らず落ちてしまったりで、まともに収穫出来る年は少ない。
今年も、下から見ている限りでは、全く生っていない感じだったが、今朝、妻が、2階のベランダから、上部に10個程生っているのに気付き、少し早目だったが、野鳥に横取りされる前に・・ということで、収穫した。
12個も有り、これまでで最多のようだ。
今年は、柿の生り年?・・なのかな。
柿の実を見ると、なんとなく、子供の頃の北陸の山村の秋の風景が目に浮かんで来る。
「春にはー、柿の花が咲きーーー、秋にはー柿の実が熟れるーーー♫」
童謡や歌謡曲でも歌われる柿、懐しい故郷の原風景に無くてはならないもののように思っている。さらに、子供の頃に覚えた、正岡子規の俳句、「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」が思い浮かんでくる。
深まりゆく秋の夕暮れ時等、人生の黄昏を迎えている類には ひとしお物寂しさが感じられてしまうが、「わび」、「さび」の世界、俳句でも、「秋」をテーマに詠まれたものが大変多いようだ。
「秋」をテーマにした有名な俳句を、いくつか探してみた。
「秋深き 隣は何を する人ぞ」 松尾芭蕉
(季語=秋深し)
「荒海や 佐渡に横たふ 天の川」 松尾芭蕉
(季語=天の川)
「白露や 茨の棘に ひとつづつ」 与謝蕪村
(季語=白露)
「名月や とってくれろと 泣く子かな」 小林一茶
(季語=名月)
「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」 正岡子規
(季語=柿)
「秋の暮れ 道にしゃがんで 子がひとり」 高浜虚子
(季語=秋の暮れ)
「朝顔に 釣瓶とられて もらい水」 加賀の千代女
(季語=朝顔)
「肩に来て 人懐かしや 赤蜻蛉」 夏目漱石
(季語=赤蜻蛉)
「おりとりて はらりとおもき すすきかな」 飯田蛇笏
(季語=すすき)
「柿食ふや 遠くかなしき 母の顔」 石田波郷
(季語=柿)
(ネットから拝借無料画像)