P12-13
日本では、ふるくから、
本朝、震旦(中国)、天竺(インド)
という3つの文明圏しかないという思いこみがあった。
(中略)
その三国世界観の壁をやぶってとびこんきたのが、南蛮というものであった。
(中略)
ちなみに、日本語解釈の上で南蛮というのはスペイン、ポルトガルのことであり、やや遅れて成立する紅毛というのはオランダのことである。
P14
ミカエルという「神に似たる者」は、古くからユダヤ教のなかに存在し、天使の首座であった。さらにいえば『新約聖書』になると、この大天使はイスラエルの守護天使である。
ザヴィエルは、こんにちの国別でいえば、スペイン国籍ということになるが、当時はピレネー山脈のスペイン側のふもとにあったナバラ王国の一城主の子としてうまれ、民族的な所属を厳密にいうとすれば、バスク人である。
P27
ケルト人という古ヨーロッパ人は、大文明をもつローマに征服されたが、紀元前のふるい時代にすぐれた青銅器文明をもち、紀元前900年以後は鉄器生産に長じ、諸道具を農業などの生産に役立てていた。ただケルト人広域社会を形成していなかったため、ローマ人の、戦士の大集団を組織づくる能力をもった文明の侵入者に対しては弱かった。
P183
聖ヤコブのことを、スペイン語では、サン・ティアゴという。サン・ティアゴはスペインの守護神のことであり、話が横へそれるが、天草・島原で戦った日本の切支丹たちも、勝利を祈るとき、
「さんちゃご!」
と、いっせいに叫んでいたらしい。
P272
私がかつて見た日本の城やヨーロッパの城は、戦闘よりも平和の象徴のような印象があった。というより城は市民生活と調和させねば生きてゆけない。その上で城じだいの永遠をねがっているようなたたずまがあるのだが、ザヴィエル城ばかりは、たけだけしいばかりに戦闘的である。
【ネット上の紹介】
1982年、筆者はフランス、スペイン、ポルトガルの旅に出る。『街道』シリーズ初のヨーロッパ行で、日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザヴィエルの人生をたどってゆく。学んだパリ大学、イエズス会の結盟を誓ったモンマルトルの丘を訪ね、バスクの地へ。生誕地のザヴィエル城では自分を「オバケ」と呼ぶ修道士が現れる。濃厚なバスク人の世界に包まれてゆく。
バスクとそのひとびと(カトリーヌ
カンドウ神父
ザヴィエルの右手
カルチェ・ラタンの青春
十六世紀の大学生
ロヨラの妖気
ザヴィエルの回心
夏の丘 ほか)
「街道をゆく~南蛮のみち」司馬遼太郎