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「超・反知性主義入門」小田嶋隆

2015年11月12日 22時00分51秒 | 読書(エッセイ&コラム)


「超・反知性主義入門」小田嶋隆

シリーズ5作目。
小田嶋隆さんの新刊書籍。
様々な事象・事件を、独自の視点で分かりやすく解析。

クジラ問題について
P76
他国の食文化を「野蛮」と考えてしまえる人間は、文化の相対性を理解していないと言う意味で、文化的に成熟していないと考えねばならない。国際社会の中での多数派、主流派として振る舞うことに慣れ切っている人々の中には、自分たちの独善(あるいは文化的不寛容)に無自覚な人々が一定数含まれているのだと思う。

仕事を戦争に喩えるビジネスマンは多い。利益獲得に邁進する企業戦士だ。
P185
その方が結果は出やすいはずだ。が、そういう働き方をしている兵士の幸福はどうなるのだろうか。
 課長島耕作は、会長にまで出世したが、仕事と不倫と派閥争いに邁進した結果、家庭は滅茶苦茶になっている。島耕作本人がそれで良いというのならそれで仕方のない話ではある。とはいえ、そういう耕作が、他人に説教するのはスジが違う。

マロリー卿の発言について
P241
「そこに山があるからだ」
 は、やはり、依然として、魅力的な回答だ。なんとなれば、山に登ることは、山に登る以外の目的を持っていないという意味で、そのほかの、人間が取り組むあらゆる作業に比べて、最も純粋な意味で、無意味だからだ。
(中略)
「おい、人生はたった一度だぞ」
 日常の中にいる人間は、なかなかここまで突き詰めたことは考えない。山に登ることの福音はおそらくここにある。山に登っている間、山道を歩く人間は、半ば強制的に自問自答の中に置かれる。無論、二日や三日自問自答を繰り返したところで、答えが見つかるわけではない。しかしながら、答えの見つからない問いを自らに向かって発し続けることによって得られる何かが、その先の人生を打開するケースが無いとは言えないのだ。
 いや、打開しない場合もたっぷりあるとは思う。
(それでも、無駄ではない、と。クライミングの場合は、自問自答するヒマも無く、登っている間、頭が真空状態になる・・・登山の中の登山、エッセンスであり、スピリッツである、と思っている)

巻末の森本あんり氏との対談も面白い
P285-286
フランス革命が終わったときね、「理性の宗教」というのが始まるんですよ。これは本当に面白いテーマでね。革命後に、旧体制と密着していたカトリック教会をぶっつぶせとか言って、フランス全土が反教会的になるわけ。だけど、人間は宗教をやめろといっても、そう簡単にやめられない。(主導者の)ロベスピエールも無神論は大嫌いだし、一般民衆もぜんぜん反宗教じゃないんだよ。(この後のトークも興味深い・・・実際読んでみて)

【関連図書】



【ネット上の紹介】
他人の足を引っ張って、何事かを為した気になる人々が、世の中を席巻しつつある…。安倍政権の政策から教育改革、甲子園、ニッポン万歳コンテンツにリニアまで、最近のニュースやネットの流行を題材に、日本流の「反知性主義」をあぶり出してきた「日経ビジネスオンライン」好評連載中のコラムが、大幅な加筆編集を加えて本になりました。さらに『反知性主義 アメリカを動かす熱病の正体』の著者、森本あんり・国際基督教大学副学長との、「日本の『宗教』と『反知性主義』」をテーマにした2万字対談も新たに収録。リンチまがいの炎上騒動、他人の行動を「自己責任」と切り捨てる態度、「本当のことなんだから仕方ない」という開き直り。どれにも腹が立つけれど、どう怒ればいいのか分からない。日本に漂う変な空気に辟易としている方に、こうした人々の行動原理が、最近のニュースの実例付きで、すぱっと分かります。エッセイ集として、日本の「反知性主義」の超・入門本として、お楽しみ下さい。 

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