山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

三国境の山

2024-11-02 16:34:12 | エッセイ

静岡・神奈川・山梨三県境の三国山(2019年1月)

「三国山」という名は、駿河、甲斐、相模の三国境(みくにさかい)ゆえに付けられたものだが、同様の三国境の場所にはどんな名が付いているか調べてみた。当然のことながら、国境というのは面で接しているが、三国境は点で接するから尾根が分岐する山頂であることが多いだろうと予想される。旧国名に由る三国境では無く、現在の47都道府県の行政区分で三県境となっている場所は、全国で44地点ある。内8地点(青丸)は川が境となっていてピークや峠の尾根上にはない。例えば静岡県に係る3地点の内、18静岡・長野・愛知三県境は飯田線小和田駅近くの天竜川の中となる。8新潟・福島・群馬三県境も実は尾根上にはなく、尾瀬ヶ原の東電小屋から数百メートル西のヨッピ川の中となるが、尾瀬ということで山にカウントした。これを含めた36地点は、図中に▲印で示した。

「三国山(岳)」そのものの山名が付けられているのは次の10地点。(赤色

5 新潟・福島・山形「三国岳」
10 埼玉・長野・群馬「三国山」
14 神奈川・静岡・山梨「三国山」
18 長野・岐阜・愛知「三国山」
21 滋賀・岐阜・福井「三国岳」
22 滋賀・岐阜・三重「三国岳」
23 滋賀・京都・福井「三国岳」
30 広島・鳥取・岡山「三国山」
31 広島・鳥取・島根「三国山」
35 福岡・大分・熊本「三国山」

加えて峠であるが、13東京・神奈川・山梨「三国峠」がある。滋賀県境は4地点の内、24京都・三重を除く3地点が「三国岳」と称されている。また、三国境であることが名前から窺われるのは次の5地点。(緑色

11 山梨・埼玉・長野「甲武信ヶ岳」
15 静岡・山梨・長野「三峰岳」
16 長野・新潟・富山「三国境」
17 長野・岐阜・富山「三俣蓮華岳」
34 徳島・愛媛・高知「三傍示山」

内、我が静岡県の最北端となる南アルプス「三峰岳(みぶだけ)」は、標高2999mで三国境最高地点となる。三峰岳は大井川源頭部(東俣三国沢)であると同時に、山梨側では野呂川右俣沢、長野側では三峰川大横川の源頭部であるが、野呂川は富士川となって、また三峰川は天竜川となって、いずれも静岡に帰ってくる。奥秩父の盟主・甲武信ヶ岳や北アルプス・三俣蓮華岳はよく知られた山であるが、他にも2宮城・岩手・秋田「栗駒山」や、東京都最高峰の12東京・埼玉・山梨「雲取山」などの著名な山が三国境となっている。

三国境ながら地理院地図に特に地名の記載がない地点は、

24 滋賀・三重・京都
25 三重・京都・奈良
27 京都・奈良・大阪
32 広島・山口・島根
33 香川・徳島・愛媛
36 宮崎・大分・熊本

と、畿内を中心に西日本に限られる。24は関西本線の通る木津川の谷北側の尾根上の小ピークで、京都側の南山城村には国見岳や三ヶ岳といったそれらしい名前の山も見られるが、25、27は丘陵地の斜面でピークですらない。ひょっとすると、畿内は現在の行政域と旧国境が一致していない可能性があるが、定かではない。

一方で「三国山(岳)」と名が付きながら、現三県境となっていない山も多くあって、近くでは芦ノ湖西岸の箱根外輪山に「三国山」(1101.8m)がある。この箱根外輪山稜線は現在の静岡・神奈川県境であり、三国とは駿河、伊豆、相模を指すと思われる。三島には伊豆国府が置かれていたと推定されていて、また三嶋大社は伊豆一宮である。現三島・裾野市境には「境川」があって、これが駿豆国境と考えられるが、とすると本来の三国境の地点としては海の平(941.5m)や山伏峠(1035m)のピークがより近く、随分とアバウトな「三国山」だと思える。
こういう地点のズレている「三国山」は他に、新潟・群馬・長野三県境は9白砂山(2118m)であるが、ここから東に約12km隔て「三国峠」(1305m)、また「三国山」(1636.3m)がある。この「三国峠」は谷川連峰(三国山脈)稜線にあって、三国街道(現国道17号)が上州(群馬)から越後(新潟)へ越えているが、これに信州(長野)を絡ませるのは距離からしてどうも無理筋だろうと思えた。以前、平標山から縦走して峠に立ったことがあったが、ここには弥彦神社(越後)、赤城神社(上州)、諏訪神社(信州)の三明神が合祀された三国権現が祀られていて、それ故の「三国」であるのだと納得した覚えがある。考えてみれば、旧国境も律令制に基づいて設置された人為的なものであるのだし、「大体ここらが境ね」程度のアバウトさであったのかも知れない。

変わった三国境でいえば、5新潟・福島・山形「三国岳」(1644m)が挙げられる。この山は飯豊連峰主脈の一峰で、正しく三国境のピンポイントであり、実際はここから先の稜線は新潟・山形県境となるにもかかわらず、飯豊本山とこれをご神体とする飯豊山神社が福島県所属とされたため(麓宮が福島県喜多方市山都町一ノ木)、数メートル幅の「福島県」が延々と稜線上に続き、御西小屋でもう一つのイレギュラーな三県境ポイントを発生させることになった。明治維新の廃藩置県による国境変更と、神仏分離の宗教政策も影響してのことだ。

(2019年3月『やまびこ』No.263)



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