山の雑記帳

山歩きで感じたこと、考えたことを徒然に

山を彫る(9)山小屋の主

2024-10-31 08:44:28 | 山を彫る

 初めての沢登りだった。着るものや、履くものが判らなかったので、聞き込みをして、それなりの準備をした。足回りは、この日のために地下足袋を購入、ザックは古くから持っていて、なかなかへこたれないデイバッグの底に穴を開け、水浸しになっても排水できるようにした。着替え他の装備は、それぞれビニール袋に入れて防水を図った。興津川の上流、田代峠への上り口に車をデポ、Ahさんの案内で、いよいよ沢に入る。早々に滝に出会った。手近にあった丸太を淵に渡し、危なっかしい足取りで一同通過。第2の滝は強烈だった。足が底に着かないほど深い淵を右から回りこみ、先行した青島さんがフィックスしてくれたザイルを頼りに、本流に足を取られながら体を引き上げた。8月末の山行で、相当暑いと思いきや、二つ、三つの滝を上がっただけで寒くなってきた。着衣が沢歩きに適していないことを思い知った。メンバー全員が沢初体験で難儀していることは、Ahさんには直ぐ判ったのだろう。早い時点で切り上げて、沢を離れ、登山道に出て、車のデポ地点に戻った。
 その日は、ヒュッテ「樽」に泊めていただいた。水汲み、薪運び、飯炊きを分担して、夕食の仕度が忙しい。囲炉裏の薪が、なかなか燃えないので小屋中煙が充満し、目に沁みる。既に飲っている好き者もちらほら。薪が充分燃え盛ったところで火を殺し、得られたオキで、いよいよメインディッシュ作りが始まった。Ahさんが予め馴染みの店で仕入れてくれてあった豚肉の塊を鉈で切っていく。囲炉裏越しに、煙の中で撮った一枚が後で役に立った。
 6号スケッチブックに原画を描いたところで先生から指摘されたのは、体の寸法のことである。手は、広げると、ほぼ顔をカバーする。また手は、顔より手前に来ているのでもっと大きくすること、手足の長さも他の部位と比較して、バランスをとっていくことを教えられた。
 そそくさと彫り、摺りあげた画は、自分でも納得できるものではなかったが、先生の眼も厳しかった。手がまだ小さい。頭の輪郭線は要らない。彫りすぎて画面全体が白っぽくなっていて軽い。などなど。
 アドバイスを元に、彫り、摺り直し。どうしても輪郭を彫ってしまうんだよなー。後壁の描き方や、脇の器も工夫を要することも言われた。3回目は、器を樽とし、後に背負子を付け加えた。ようやく仰ることが判るようになったので、4回目にチャレンジした。こうして完成したのが、この画である。モノトクロで題材も地味ですから決して見栄えのする画ではないが、版画を続けて行くうえで様々な収穫があり、大切な1枚となった。木版画と言えば文字通り木版に、見たこと、思っていることを彫って表現するが、いかに彫らずに済ますか、線を少なくして見る人の想像をかきたてるようにするかを学んだ。体の寸法についての基本的なことも知った。4回もやり直したことで、諦めずにやれば、何とかなることも体得でき、私の記念碑的な作品になっている。

【エピローグ】

1.画は完成し、市民文化祭や、勤めていた会社のOB作品展に出品したが、私の心中では、この画は、まだ完結していない。ヒュッテ「樽」に掲げさせてもらい、完結できる機会があれば嬉しい。
2.1年半、9回に亘っての投稿も今回で、終了します。きり良く10回まで続けるつもりでしたが以下の理由もあり、お終いです。
3.9/2~5までO先生門下生の作品展が開催されます。プラザ「おおるり」1階ホールは随分広く感じて、当初は10点揃えて出品しなければ壁が埋まらないように思えましたが、門下生が多く、たくさんの出品が見込まれてきましたので、これ以上頑張らないことにしました。
4.上記に併せて、版が残っているものを、擦り直してみようと思います。今まで掲載した中で、ご所望の作があれば、贈呈しますので、ご連絡ください。画だけなら無料です。額共の方は、申し訳ありませんが材料費2千円と、暫くの猶予をいただきたくお願いします。
 長らくのお付き合い、ありがとうございました。 〔完〕

(2010年8月、IK記)

*  *  *

鉈で肉を切り分けるAh氏

興津川支流の中河内最奥・樽の登山口からワンピッチ、沢を外れ右の尾根の乗越しが南に開けたわずかな平となった所に、小さな青い山小屋が佇んでいる。戸を開けると、燻った山小屋特有の匂いが漂ってきて、何とも言えず嬉しくなってくる。ヒュッテ樽は30年程前、若かりしAh氏が仲間の皆さんと共に手作りで建てた小屋である。管理、補修をしっかりされているせいだろう、歳月と共に深まったいく渋みはあっても、不具合なところは何もない。元小学校の廃材を利用したと伺っている小屋は、なるほど壁の羽目や窓などに古い木造校舎の雰囲気が感じられるし、木の机、小さな椅子なども隅にあってなおさら愛らしい気になる。南の開けた側にはテラスがあって、風を感じながら移りゆく山裾を眺められる。カップなどを傍らに置いて、うつらうつら想いを巡らすのも良さそうだ。(2005年1月『やまびこ』No.94)

山小屋の主Ah氏は当時、県岳連の遭対委員長で、2003年静岡国体山岳競技救護部の慰労会にIKさんのお供をしたのが、この小さなヒュッテに泊まった最初だった。
2005年8月、Ah氏に誘われIKさんほか仲間6人で興津川源流の沢登りに出かけた。

興津川源流部を滝を越えて遡る

――SHCの皆様、8月27日は私の好きな興津川源流へ足を運んでくれてありがとうございました。盛夏を過ぎ少し水が冷たくなる季節でしたが、皆様と一緒が冷たさを忘れさせました。台風後で若干水量がありましたが、かえってそれが水垢などを取り去り歩き良くしたと思っています。一年を通して源流を歩く人は、一部の釣人を除いて十人もないと思います。もう少し季節が早ければ岩タバコの花盛り、濃いみどりの葉の上に紫色の宝石が散りばめられ、目を細めます。時期の遅れた今回は、皆様との会話や協力して行動したことが其の代りとなり、良い思い出となりました。IK代表、Thさんは元より、Nhさん、Ak夫妻、Ohさんと旧知の如く会話が弾んだこともうれしかったです。(中略)夜のヒュッテは言う事なし、正に行った者の勝ち、来た者の勝ちの世界でした。(Ah氏の返信)

囲炉裏を囲んで最高の夜

あれからさらに20年も経って、ヒュッテは半世紀も小峠に建っていることになる。小屋の主・Ah氏は「元気なのは口だけ」と言いながらも、時々山頂から「Thさん、今○○山!」と電話をくださり、「行った者勝ち」という氏の人生のモットーを貫いている。画を見ていると、あの時の燻った匂いまでも思い出し、またヒュッテに泊まりたくなってきた。



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