会報150記念号アンケートに、好きな山を挙げよという項目があった。迷わず「房小山」と書いた。好きな理由はいくつかあるが、まず、佇まいが良いことを挙げたい。鋸岳直下、樹間から眺めて良し、いくつかの沢を隔てて、静かに座っているところが好ましい。帰りのことを考えるとかいだるいが、急降下してガレの頭を過ぎてから北上する稜線が良い。笹原の中を緩やかに上下する道は、私の最も好む雰囲気である。この稜線には白やしおがたくさんあり、花の当り年にここを通れば顔が火照る程であろう。Saさん(千頭山の会)によれば、私の太腿くらいの木でも樹齢300年は経っていようという代物が並んでいる。一旦、巻き道に入った辺りは、眺めもなく、時々急坂が現れるので気分的にも体力的にもきついが、我慢、我慢。そこを抜ければ笹原が山頂まで続く超明るい道が開ける。山頂までは1時間かかるが、もう大丈夫だ。笹の中に埋もれた木の根っこや石に注意しながら、あっち見、こっち見して歩を進める。天気が良ければ、これ以上の幸せは無い。
房小山のことを初めて教えてくれたのは、千頭のEnさんである。'98年、御殿場山岳会に富士山の茸狩りに招待された。同席していたEnさんが、酔うほどに「房小山はええぞー、房小山はええぞー」と言っていたのが気になり、行ってみたいなーと思った。チャンスは意外と早く訪れた。'99年県スポーツ祭の折、SHCは島田しらびそ山の会と共にBコース(高校生)を受け持ったが、隊付きのスタッフも多かったため急遽Aコースの房小山に連れて行ってもらうことになった。この時は、千石沢登山口まで川根町のマイクロバスが乗り入れてくれたので、行き帰りの2時間余りを歩くことなく随分楽に行ってこれた。一度で好きになってしまったこの山へ2000年に、なんと3度行く破目になる。4月にAEさん、MKさん、YTさんと、5月には私のDIYの師匠、Osさんと、さらに11月には山の師匠2人を案内した。いずれの山行でも、常の山行にはないエピソードが伴ったことも、この山を忘れられないものにしている。
笹原に続く道(2008年10月・大川連親睦山行)
久し振りに、今度は県岳連大井川地区の方々と親睦のための登山をした。例によって、山犬段の小屋で大宴会をやった翌日の山登りはつらいものがあるが自業自得ではある。この日も秋の好天日で、私にとっては堪らない場面であった。残念ながら山頂には届かなかったが十二分に楽しんだ。この時の印象を版画にした。笹原の中に点在する、色付き始めた広葉樹と常緑の針葉樹の対比が面白く、そこにまた立ち枯れの白木が絡む様を画にする作業は、手間がかかったけれど楽しいものだった。彫刻刀の使い方を工夫して針葉樹を100本余彫ったのに、摺りの段階で思ったほど表現されていないのには、ガックリきた。紙を変えたり、絵の具の濃度をあれこれしてみても効果が上がらず弱っていたところ、ちょうど我が家を訪ねてくれたYoさんに相談したら、言下にバレンが悪いと指摘された。バレンを借りて再度摺ってみたら、考えていたものに近い仕上りになった。後刻Yoさんを通じて3,900円也のバレンを購入し、それ以来重宝して使っている。大好きな山を画にすることができたし、版画を続けていく上でも収穫の多い作品となった。
(2010年2月、IK記)
この辺りは恰好の鹿の遊び場
【2024年10月記】
房小山は寸又峡を基点に馬蹄形に連なる大間川(寸又川支流)流域尾根の西奥にあたり、山犬段辺りの南赤石林道から望めば鋭峰・黒法師岳から南に続く平らな尾根にイボのように隆起した小さなピークだ。私が初めて訪れたのは、IKさんの5ヶ月前の1999年6月初頭で、県スポ祭のコース下見として千頭Enさんの先導だった。
房小山(1999年6月)
(前略)千石平を通り鋸山へ。樹林の中のあまりはっきりしないピークだ。担いできた千頭山の会の道標を設置。ここから先、いよいよヤブこぎが始まるということでTシャツから長袖に着替え、軍手をはめる。房小山まで三回ほどの深いヤブ。体が完全に隠れ、すぐ前を行く人も見えないほどの笹だが、下はしっかりと踏み跡がついており、思っていたほど歩きにくくはなかった。また要所に赤ペンキでマークを付けたので、道は以前よりはっきりしたと思う。六回ほど小ピークの登降を繰り返す。道はほぼ稜線上を進む。白ヤシオの群生があり、見事な花をつけていた。二重山稜になった地点に着くと右先にポコリと房小山が見えた。右に曲がりあちこちに鹿のフンの落ちているなだらかな斜面を登ると頂上に着いた。スッキリとした明るく感じの良い山頂だ。蕎麦粒山から大札山へと続く尾根、また板取山から沢口山へと続く尾根が望まれた。ここから先、バラ谷山から黒法師へと続く稜線はさらにヤブも深い道なのだろうが、いつか歩いてみたいと思う。
(1999年6月『やまびこ』28号より)
房小山が一般ルート化したのはこの県スポ祭がきっかけで、Enさんをはじめとする千頭山の会の尽力のおかげだった。Enさんは後に赤石頂上小屋の名物小屋番になった。私にとっては、房小山は南アルプス深南部への道筋を拓いてくれたものだった。この山の先を踏んで黒法師岳を目指したのは2年後の秋だった。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます