かねてから気になっていた粟ヶ岳北東中腹の安田(あんだ)にある巨樹を訪ねてみた。ムラの小さな神仏たちをその懐に抱えて悠然と立つ。
静岡県島田市金谷安田の大椎と呼ばれるスダジイの巨樹である。この木は、ムラのなかに張り出した土手状の小丘の上にあり、根まわり18.5メートル、樹高27メートル、枝張り東西26メートル、南北23メートルで、樹齢は1000年と推定され、静岡県の天然記念物に指定されている。木の南根方には瓦葺きの小祠があり、なかに山の神と秋葉社の木祠が納められている。本来、この椎の木が山の神の座であったことをうかがわせる。椎の根もとには、このほか西側に庚申塔・北側に稲荷社も祭られており、この椎の傘下にムラの神々が集まっていると言える。ムラ中の、椎の枝に蔽われた小丘は安田の聖地なのである。八俣の大蛇(やまたのおろち)のように八方の天空に枝を張りくねらせたこの椎の古木は、一樹ではあるがその巨大な風貌と機能からして一つの森をなしているとみることができよう。八月上旬の真昼、この椎の樹下に座して握り飯の弁当をゆっくりと食べた。その間、絶え間なく涼風が吹きぬけていった。目を閉じて仰臥すると急に周囲の山々の蟬の声が高くなったような気がした。しばらくしてかすかに目をあけると黒々とした椎の枝葉の重なりの隙間から青い空が見えた。はかり知れない歳月を経、風雪にたえ続けてきたこの椎の巨木に抱かれ、夏の強い光線から身を守られて樹蔭を吹きぬけてゆく風に身をまかせているとき、現代生活とは異なる時間単位を与えられたような気がした。ここには、荘子の「逍遥遊」の世界もある。「人を蘇生・再生させる」という意味で、巨樹の樹下は森と同じ力をもっている。
(野本寛一『生態と民俗』第一章「巨樹と神の森」より)
* * *
ところで[安田/あんだ]という地名だが、野本寛一氏の著作の中では[あだ]とルビが振られていることもある。『民俗地名語彙事典』(松永美吉・日本地名研究所編、ちくま学芸文庫)によれば
アダ ①オク(奥)に対する里がアダ ②日あたりのよい土地。
とされている。金谷安田の場所を見てみると、粟ヶ岳北東に位置し、東側が開けた菊川上流部の小さな谷であるから、「①オク(粟ヶ岳)に対する里 ②日あたりのよい土地」の語意を充たしていると思われるがどうだろうか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます