ケンのブログ

日々の雑感や日記

良心ある人間としての生命の大切さ

2020年12月16日 | 読書
芹沢光治良の「人間の運命」という小説に次のような記述がある。

“”
二月上海事変中に、日本軍が廟行鎮の戦線で苦戦しているときに、工兵隊所属の三人の兵隊が、点火した爆弾筒をかかえたまま前進して、鉄条網の爆破作業を敢行して自爆して死に、二階級特進して、「爆弾三勇士」と称賛されたことがある。

三勇士のことを、新聞や雑誌が盛んに書きたてて、軍国熱をあおっているが、それは日本が軍国主義に急展開した象徴であるが、死を怖れるようにして病をやしない、生命を大切にしている次郎には、辛く身にこたえることである。

この軍国主義は、蛮行だと言ってしまえないにしても、生命を大切にしている自己を、卑劣か意気地なしかに感じさせるものがある。しかもその「爆弾三勇士」を称えるために、B新聞社が全国から歌詞を募集して、その当選者が与謝野寛であったことが、肌に泡立つような悪寒を感じさせた。

与謝野寛が日露戦争の時、戦場におもむく兵隊を、敢然と「君、死にたもうことなかれ」と、生命を惜しんで涙の長詩をもって見送った歌人、与謝野晶子の師であり夫であるから、こんな歌詞を投稿したことが、情けなくゆるせない気がした。

廟行鎮の敵の陣
われの友隊すでに攻む
折から凍る二月の
二十二日の午前五時

すぐに曲がつけられて「酒は涙かため息か、心のうさの捨てどころ」とその頃陰鬱に町町や村村に流れていた歌謡曲を一掃するような勢いで歌われはじめた。それを聞くと、物を書く身の恐ろしさが、胸にせまるのだった。

中略

与謝野寛という歌人はこれによって、その全生涯の詩集を溝に投げ込んだことに気がつかないのであろうか。そのよき妻として、なお生きて、多くの短歌を詠んでいる歌人晶子は、この歌詞を投稿する夫を引き止めなかったことで、後世にわらわれ、惜しまれることに、気がつかないだろうか。

そして恐ろしいことは、自分も、よほど生命を見つめ、良心をとぎすませていなければ、時局の急迫につれて、無意識に与謝野寛にならないともかぎらない。

自分のペンで自分の生命をむしばみ、生命を断つようなことを知らずにやりかねないのだ。

しかしこの不安は一郎にも、誰にも話したとてわかってもらえないだろう。“”

※一郎は主人公 次郎の兄


昭和7年当時というこの小説のこの場面の時代設定を考えると与謝野寛や晶子に対するあまりにも厳しい評価の仕方ではあると思う。

時局の勢いで止むにやまれず軍歌を書いたりした人もきっといた時代だから、、、。

しかし、この僕が引用した部分で最も大切なことは、与謝野夫妻への批判ではなく

「恐ろしいことは、自分も、よほど生命を見つめ、良心をとぎすませていなければ、時局の急迫につれて、無意識に与謝野寛にならなとも限らない。自分のペンで自分の生命をむしばみ、生命を断つようなことを知らずにやりかねないのだ」と小説の主人公、次郎が自分を厳しく戒めていることだと思う。

“”自分のペンで自分の生命をむしばみ、生命を断つようなことを知らずにやりかねないのだ。“”

という記述のペンを言葉の象徴というふうに考えれば、この記述は

“”自分の言葉で自分の生命をむしばみ、生命を断つようなことを知らずにやりかねない“”

と置き換えることができる。

要約すれば
「よほど生命を見つめ、良心をとぎすませていなければ、時局の急迫につれて、自分の言葉で自分の生命をむしばみ、生命を断つようなことを知らずにやりかねない」ということになる。

ここでいう生命を断つというのは文字通り死んでしまうということではなく、良心ある人間としての生命を断つという意味だと考えることができると僕は思う。

そう考えると、この芹沢光治良のこの記述はネットなど様々なメディアが発達し、誰もが気軽に言葉を発することができ、また、デジタル化を始めとした急速な時代の変革期にある今という時代にも全く通用する記述であるように思う。

そして、良心ということを常に意識するその考え方というのは本当に驚くほど真摯な気構えであるなと改めて感嘆する。

また、芹沢光治良のこれらの記述はイエスの次のような言葉を思い出させてくれる。

「およそ心からあふれることを口が語るものである。善い人は良い倉から良いものを取り出し、悪い人は悪い倉から悪いものを取り出す。

言っておくが、人は自分の話したつまらない言葉についてもすべて、裁きの日には責任を問われる。あなたは自分の言葉によって義とされ、また自分の言葉によって罪あるものとされる」
※マタイによる福音書12章

話す言葉も、書く言葉も、同じことであると思う。

また、「与謝野寛という歌人はこれ(自爆した軍人を称える詩)によって、その全生涯の詩集を溝に投げ込んだことに気がつかないのであろうか」という芹沢光治良の記述があたっているかどうかはともかくとしても、私達は一つの誤りで生涯にわたって築いたきた信頼を失ってしまうというのはよくある話で、そういう意味ではこの記述も自分を戒めるための参考になるなと思う。