岐阜の実家に帰ってきた。JRの在来線、京都、米原 大垣で乗り継いで来た。
コロナの自粛要請の影響などで電車はかなり空いている。
電車が岐阜に近づいてきて揖斐川の鉄橋を渡った時、ああ揖斐川だなあと思って通路側の席から外を眺めると窓側に座っていた人が揖斐川の鉄橋を電車が渡っている間スマホで動画を撮影していた。
岐阜駅で電車を降りて階段をホームの下に降りていく。
階段中央の踊り場で、その踊り場まで登ってきた僕と同じくらいの年格好の女性が、階段の下から登っくる足元のおぼつかない老人の男性に
「ほれ、ちゃんと見とらなあかんて」と声をかけていた。
ほれ、ちゃんと見とらなあかんて というのは岐阜の方言で標準語に直すと
「ほら、ちゃんと見てなきゃだめよ」ということだ。
石川啄木の歌に
ふるさとの なまりなつかし 停車場の人混みの中に そを聞きに行く
というのがあるけれど、鉄道の駅できく、ふるさとのなまりは本当にいいものだな
心をほっとさせてくれるなと思う。
石川啄木は岩手県 僕は岐阜県でふるさとのなまりも全く違うけれど、そもそもふるさとのなまりが懐かしいというのは時代や土地の違いを超えても同じなんだなと思う。
時を経ても、感動が変わらない芸術が、時を超えて残っていく。
そういうものだなと思う。
岐阜駅を降りて、駅の南のレンタカーの事務所に行く。
事務所のお兄さんが僕に保険などいろいろな重要事項を説明されるたびに僕は老眼鏡を取り出してかけた。
契約に関する重要事項を生返事で聞くのが僕は不安になる性格で、書面を老眼鏡をかけて見ながら話を聞いてしまう。
そんなことをしていたせいだろうか
レンタカーを出すときにお兄さんは僕に
「枯れ葉マークは必要ないですよね」と言った。
「まだ58歳なので彼はマークはいりません」と僕は言った。
大体、免許証をチェックしたときに年齢はわかるはずなのに
僕が何度も老眼鏡をかけていたので、きっと僕のことがかなりのおじいさんに見えたのだと思う。
状況に寄って年寄りに見られたり、逆に若く見られたり、いろいろだなと思う。
ただ、平気で枯れ葉マークと口に出してしまうところが田舎だなと思う。