今日の天気図を見ると太平洋高気圧が張り出していて8月の長雨の原因になった前線は朝鮮半島のあたりまで北上している。
そのせいか暑さが戻ったと言うか残暑が厳しかった。
しかし、もう秋、夜になると秋の虫が盛んに鳴いている。
僕の実家は木造なので、鳴くだけでなくコオロギなどけっこう家に上がり込んでいることもある。
さすがにコオロギにキンチョールをかける気にもならずそのままにしている。
コオロギが家に上がり込んでいるのを見て思い出したことがある。
僕が子供の頃、今、板張りになっているキッチンはまだ土間で、かまどがあった。
その土間にカマドウマといういわゆるバッタの類で背中が馬のように茶色で、羽のはえていない虫がいる。
本当に後ろ足の筋肉が無茶苦茶、発達していてコオロギのように鳴くことはできないけれど、ジャンプ力はコオロギよりも一枚も 二枚もうわてだった。
そのカマドウマのことをウィキペディアで調べてみると、日本家屋では竈(かまど)のばにいることが多いのでカマドウマという という主旨のことが書かれていた。
なるほどそれでカマドウマか。
僕の家でも確かにかまどのある土間のあたりにたくさんいたなと思い出す。
そうすると土間のかまどのことまで思い出してしまう。記憶の連鎖だ。
土間に、かまどがあって、そのかまどでもち米を蒸して(蒸したのか、炊いたのかどちらか忘れてしまったけれど、かまどを使っていたことは覚えている)、おもちをついた。
当時、祖父が経営していたあんこの製造工場のおじさんがもちをついて、おばあちゃんがひっくり返して、つく、ひっくり返して つく ひっくり返して つく、そのタイミングが一歩間違うと、おばあちゃんはあたまを杵(きね)でどつかれて死んでしまう、と子供の頃思っていた。
タイミングがずれませんようにと子供心に祈っていた。
そのおばあちゃんがもちつきでおもちをひっくりかえすときの手つきはこねるような独特の手つきだった。
ある時、京都のリラクゼーションサロンで、僕はもみほぐしコースというコースをしてもらったことがある。
女性のセラピストの方に、「どちらかというと、上半身よりも、ベルトよりしたのラインを中心にもみほぐしてください」とお願いした。
それで、ベルトから下のラインを中心にもみほぐしてもらったのだけれど、僕のお尻をセラピストの方がもみほぐすときの手つきが、おばあちゃんがおもちをこねるときの手つきとそっくりだった。
ちょっと、そのことを、セラピストの方に言おうかどうか迷ったのだけれど、以前にその方は、京都生まれの 京都育ちのかたと聞いていたので、まあ、いってもいいやろうと思って、(なんで、京都の子にやったら言ってもええと思ったんかようわからんけど、、)その方に僕は言った。
「○○さんが、お尻をもみほぐすときの手つき、僕のおばあちゃんがおもちをこねるときにそっくりでした。まあ、僕は施術の最中は目を閉じているので、あくまで感覚的にそうやったということですけど」と。
まあ、ちょっと気を使って、あくまで感覚的なものという言い方をしたけれど、その話はけっこうセラピストの方に受けたようで、そこそこ笑ってくださった。
でも次にそのセラピストの方に施術してもらったときには、おしりは遠慮がちにもみほぐしておられたので、やっぱり おもちをこねる話はしなければよかったと後悔した。
そういえば、二週間くらいまえに入ったフランスパンの店にあったコッペパンのようなパンに手書きのポップが出ていて、そこには「もっちりした食感」とかいてあった。
「もっちり」ってどんなかんじやろう。まあ、そんなに真面目に考えることではないような気がするけれど、つい真面目に考えてしまう。
ということで、コオロギのはなしが、もっちりした感覚のはなしになってしまった。
それはともかく、いちにち いちにち 無事にすごせますように、それを第一に願っていきたい。