ケンのブログ

日々の雑感や日記

大阪のDNA?

2018年11月09日 | 日記
午前中は雨模様のお天気だったけれど
午後になって雨はあがった。
気象情報の予報の通りだなと思う。
ただ、気温は高くなんだか蒸し暑い感じになっている。
僕の体感温度はあまりあてにならいけど
感覚的には十一月に入って今日が一番暑いように思える。
暖かいというよりもちょっと蒸し暑いという感じだ。
ただ、この時期は寒くなるとすぐに10度を切るので
注意が必要とラジオでは言っていた。
まあ、その通りだろうなと思う。
僕が聴いているラジオは金曜は池田なみ子さんという
女性がDJをつとめている。
何週間か前に池田さんがある男性シンガーと
ラジオでトークをしていたときに
男性シンガーが「僕はある作家の本に取り上げられたことが
あるんですよ」というと
池田さんはすかさず「よう、講談師」と合いの手を入れた。
そのとき巧みな合いの手の入れ方だなと僕は思った。
今日、その男性シンガーが
「僕はそうめんがあまり好きではないんですよ。
暖めてにゅうめんにしてもね。
そうめんでもにゅうめんでもちょっとやわらかいところが
苦手なんです」と言うと
「コシがない」と池田さんは合いの手を入れた。
これもやはり巧みな合いの手の入れ方だなと思った。
それでちょっと池田なみ子さんのことを
調べてみると大阪出身と出ていた。
そうだろうなと思った。
あの素早く巧みな合いの手の入れ方は
大阪ののりだろうと思った。
大阪にはそういうDNAがあるのかなと思う。
こういう巧みな間は、大阪のネイティブでないと
なかなか身に付かないものであるような気がする。

ネットに家入レオさんのニュースというか
トピックが出ていて
家入レオさんが影響を受けた書物のひとつとして
聖書が紹介されていた。
トピックの記事を僕なりにサクッとまとめると
レオさんは聖書に表現された
人間の善悪込みでの色々な壮大なドラマに
魅力を感じておられるようだ。
そういう感じかたはアーチストらしいなと思う。
レオさんはヨハネによる福音書の第十五章五節を
彼女が好きな聖書の箇所として紹介しておられた。
こんな箇所だ。

わたしはブドウの木、あなたがたは
その枝である。人がわたしにつながっており
わたしもその人につながっていれば
その人は豊かに実を結ぶ。
(ヨハネによる福音書第十五章五節)

この言葉はもちろんヨハネ福音書に記されている
イエスの言葉だ。
レオさんの普段のインタビューへの受け答えの
言葉や歌詞をきいていると
彼女がつながりということを意識しておられることは
十分に推察されるので
レオさんが聖書のこんな箇所を紹介しておられるのは
なんだか興味深いなと思う

いつか、レオさんのことをウィキべディアで
調べたとき、そこには特に彼女の出身校などの
記載はなかったけれど
僕が今回ネットで見たレオさんの記事からは
彼女がキリスト教系の学校の出身であることが
推し測られる。
きっとそうなんだなと思う。

そういえばユーミンもキリスト教系の
学校の出身だったなと思う。









ラジオ体操制定90年

2018年11月08日 | 日記
朝、ラジオを聴いていたら今年はラジオ体操が制定されて
90年と言っていた。
ラジオ体操は僕が生まれた頃からあるので
いつからあるのか意識したことはなかったけれど
そんなに昔からあるのかと思った。
僕は子供の頃ラジオ体操に通った記憶がない。
ただ、予備校に勤めていたときに京大に合格した子に
インタビューしたら
夏休みは毎日自習室に来て、来るとノートに
マークをつけていった。
それが小学校の頃ラジオ体操に行くとはんこをもらえた
感覚に似ていてとても受験勉強の励みになったという話を
聞かせてくれた。
それを聞いて僕は、やはり小学生の頃から
ラジオ体操に真面目に取り組むような性格だから
受験勉強にも規則正しくしっかり取り組んで
京大にも合格できるのだろうと思った。
それでそのラジオ体操90年を記念して
草刈正雄さんの主演する「体操しようよ」という映画が
明日から公開されるとラジオでは言っていた。
この映画は草刈正雄さんふんする会社を定年退職した
主人公がラジオ体操を通じて仲間作りに努力する物語と
ラジオでは言っていた。
僕も定年退職世代の人間なので
そういう映画があるのかとなんだかストーリーを聞いただけで
励みになるような気持ちだった。
本当に今、新聞を読んでいると国は
70才まで働くような流れを作ろうとしているかのようにも
思える。
しかし、人生100年時代の呼び声はあるものの
男の健康寿命は70才程度というのが現状だ。
織田信長の時代が人生50年で
それから人生70年、80年になるまでなん百年と
かかっているのに人生100年の呼び声だけで
急に人生が100年になるとも思えない。
70才まで働くということは現状
健康寿命目一杯働くということに思えてしまう。
それは、みんながそこまで働いたら
国の側からみた社会保険の運用は楽になるかもしれないけれど、、、。

ラジオ体操に思いをめぐらしていたら

新しい朝が来た 希望の朝だ
という歌い出しのあのラジオ体操の歌が
藤山一郎さん作曲であることを思い出した。
ユーチューブで藤山一郎さんの歌唱を聴いてみる。
藤山一郎さんはつつみこむようにやさしい歌声で歌っておられる。
音程も節回しもすばらしい。
ラジオの声に という部分の
ラを藤山一郎さんはドイツ語のRを発音するときのように
発音しておられる。
そういうところを聴いただけで藤山一郎さんが
一つ一つの音、言葉の発音をいかに大切に
しておられたかがうかがわれなんだか涙が出そうになる。

最後の
それ 一 二 三
の一 二 三を藤山さんは拍の一番前で
とても短く迅速に歌っておられる。
なんだかこういうところの気合いの入れ方は
明治の男の気骨だなと思う。
こういう偉大な先人がいて
今日の日本があるような気がする。


立冬

2018年11月07日 | 日記
朝、ラジオを聴いていたら今日は立冬と言っていた。
例年十一月上旬が立冬というのはなんとなく
意識しているけれど今日が立冬というのは
ラジオを聴いて認識した。
早いなとおもう。
しかし関西はかなり暖かい天気になっていて
季節が逆戻りしたような感じになっている。
今日は直射日光浴びるとちょっと暑いぐらいの
陽気になっている。
100Yenショップでは11月1日、つまり
ハロウィンの翌日からもうクリスマスグッズが並んでいる。
昨日会計のところで並んでいたらもう
鏡餅も出ていた。
今から鏡餅を買う人は少ないだろうから
きっと今のうちから店先に鏡餅を置いて
お客さんにお正月の意識付けをしているのだと思う。
そうすると実際にお正月が近づいてきたときに
お客さんはみんなもう正月の意識付けが
できているからお正月グッズをちゃんと買ってくれる。
そういうお店の計画なのではないかと思う。
いろんなお店でクリスマスソングもぼちぼち
流れ始めている。
しかし、まだ流れ始めているという感じで
本格的にクリスマスソングが流れているわけではない。
こちらの方は音楽を流す人も
最初はぼちぼち始めてクリスマスが近づくにつれて
だんだんムードをもりあげていこうと思っておられるのかも知れない。
きっとそうだろうと思う。
喫茶店に入ってそんな風に書いていたら
そのスピーカーからチャイコフスキーのくるみ割り人形の
序曲が流れてきた。
くるみ割り人形もまたクリスマスの音楽だなとおもう。
クリスマスの頃、ロンドンに旅行に行ったとき
ベートーベンの第九をやっているコンサートホールはなかった。
そのかわりにコンサートを紹介するタウン情報紙には
ナットクラッカーという字が頻繁に踊っていた。
ナットクラッカーってなんだろうと思った。
ナット ナッツ 木の実
クラッカー クラック 砕く クラッカー 砕くもの
木の実を砕くもの、そうか、くるみ割り人形かと
理解するのに10分くらいはかかったと思う。
でも、理解できてよかったと思う。
くるみ割り人形のチケットを買って
ロンドンで見た。
くるみ割り人形の全曲のステージを見たのは
そのとき一回だけかもしれない。
白鳥の湖は数回見ているけれど。
今日もちょっと若者向けのFMラジオを聴いたのだけれど
つい、最近の音楽は今一つ、、、と思ってしまう。
しかし、年配向けに流れているFM放送の音楽は
時の流れの淘汰に耐えて今も放送するに足りる
音楽だけなので、昔の音楽は
今の音楽よりもと決めつけることはできない。
今、若者向けに流れている音楽のなかで
30年後もラジオで流れる音楽は
きっと今の時代を代表する音楽作品なのだろうと思う。

たがいに愛し合うことの他には

2018年11月06日 | 日記
最近どちらかというと中高年向きのFM放送を朝聴いている。
今日はちょっと趣向を変えようと思ってどちらかというと
若者向きのFM放送を聞いてみた。
リスナーからのお便りもこの連休は学園祭でした
など、若者向きの放送だなと思う。
この時期が学園祭って言われてみればそうだろうけど
すっかり忘れていたなと思う。
流れてくる女性シンガーの歌を聴いていると
あなたにいいことがあるように願っている、というような
男性にエールを送る内容の歌詞が多いように思える。
もちろん僕が若い頃も
今年もたくさんいいことがあなたにあるように
どいうようなユーミンの歌詞もあったけれど
昭和の時代の女性シンガーの歌の歌詞は
あなたが好きというのが基本であったように思う。
ずいぶん女性シンガーの歌の歌詞も様変わりしたものだなとおもう。
昔、歌は世につれ世は歌につれというような言葉を
決まり文句にしていた歌番組の司会者がいたように
記憶しているけれど、その通りだなと思う。
昭和の時代に比べると女性の社会的地位が
相対的に向上したのだろうか。
それはちょっとわからないけれど
女が男についていくというような演歌やムード歌謡の歌詞に
よくあるような図式はもうとっくに崩壊しているように思える。
ただそういう図式が崩壊しているからこそ
パウロが言ったように
互いに愛し合うことの他にはなんの借りがあってもならない(ローマ人への
手紙13章)
ということがますます大切になるように思う。
今日も昨日に続き昼間は比較的暖かいなとおもう。
しかし、自宅最寄り駅の桜はかなり葉が
紅になってきている。
たぶん気温だけが紅葉の要素ではないような気がする。
なるべく紅葉の情報は駅などでも見るようにしたいなと思う。

このカードどこでも使えませんよね

2018年11月05日 | 日記
関西の僕の住んでいる地域はかなりの好天に
なっている。
十一月に入ってちょっと寒くなったと思ったけれど
今日は日が照るとけっこう暖かい。
ラジオを聴いていたらDJがこれからしばらく
暖かい日が続くというようなことを言っていた。
気温が下がって紅葉を意識した頃にまた
暖かくなるとは本当にお天気はわからないなと思う。
暖かくなったり寒くなったりを
繰り返してだんだん本格的に冬になっていくとは
思うのだけれど、これだけ暖かかったり
寒かったり変化が多いと天気というか気候は
どうなっているんだろうと思ってしまう。
そういえばいつかアメリカのトランプさんが
米国のある場所で大雪が降ったときに
「地球温暖化と言うけれど、この大雪じゃないか」と言ったら
「トランプは気候と天気の区別がつかない。
大雪が降るのは天気であって気候ではない」と誰かに
言い返されていた。
まあ、その通りかも知れないけれど、、、。
ただ、アメリカのニュースを読んでいると
時々アメリカはディベートの国
悪く言えば言い合いの国なのかなと思ってしまうことがある。
実際にアメリカに行ったことがないのでよくわからないけれど、、、。
今日、吉野家でカレーを食べていたら
あるおばちゃんがテイクアウトの会計をしたときに
カードにポイントをつけてもらって
「このカードどこでも使えませんよね」と言った。
どこでも使えないというのはとても意味内容のあいまいな言い方。

どこででも使えるわけではないと言えば
すべての場所で使えるわけではないという意味になる。
どこでも使えないと言えば
通常は使える場所は全くないという解釈になると思う。
たぶん論理的に言葉を考える人なら
そう解釈する可能性が高いはずだ。

「このカードどこでも使えませんよね」とおばちゃんが言ったとき
「どういう意味でしょう」と吉野家の店員さんは言った。
そして、しばらく間をおいて
「例えば○○や△△で使えます」と言った。
一般的に説明するのを避けて個別の具体例をあげておられる。
こういう場合にすばらしい対応だなと思った。
おばちゃんは微妙な顔をしてお店を出ていった。

数日前に歯医者に言ったとき
歯科医が「歯は高いですか」と僕に言った。
「そうですね、低いようにも感じますが」と僕がいうと
「少なくとも高いわけではない」と歯科医は言った。
「そうですね、高いわけではありません」と僕がいうと
「だったら大丈夫です。これでしばらく様子を
見てください」と歯科医は言った。
あのときは話のわかりやすい歯科医だなと思った。