ケンのブログ

日々の雑感や日記

とんだクリスマスだぜ

2020年12月24日 | 日記
今日の新聞に昨日87歳の誕生日を迎えられた上皇陛下と上皇后陛下の写真が出ている。お住まいの庭でくつろがれる写真だ。

上皇陛下は翁のようなお顔になっておられる。天皇を退かれてほっとしておられるようにも見える。

いつまでもお元気でと願いたい。

詳しいことを書くとキリがないのでごく大雑把に書くと、コロナの異変種などの流行で英国は国境封鎖に近いような状態になっているらしい。

本当に不安が多く大変なことと想像する。

ところがこのニュースに関連してロイター通信が出した新聞写真には、英国南部の街で立ち往生しているポーランドのトラックの運転手4人の写真が出ている。

4人ともマスクはしていなくて、サンダルやスニーカー履きで、トラックの傍らに立っていて、腕を組んだり、ポケットに手をつっこんだりして、「今年はとんだクリスマスになっちまったぜ」という顔をしているように見える。

本当に今のことが、何年か先になって 「いやあ、あの年はまったくとんだクリスマスだったなあ」 と思い出話として語れる日がくるといいなと思う。



わからない世の中

2020年12月23日 | 日記
今日、12月23日は天皇誕生日で祝日とばかり思っていたら、平日ということで、やはり時代は令和に変わったんだなあと改めて思う。

菅総理大臣になってから、脱炭素の問題と、それに付随してと言うかそれとセットのような形で、海上風力発電の話も盛んに出てくるようになったように思う。

脱炭素ということで二酸化炭素が悪者で、海上の風力発電は再生可能エネルギー、自然エネルギーなどどいかにも良いものであるかのようなネーミングになっている。

しかし、海上風力発電の羽の直径は100メートルにも達するとどこかに書いてあった。

そんな大きな羽をブンブン海上でぶん回すためにはその遠心力に耐えられるようなポールを建てなければならない。

そのためには、しかるべき深さの穴を海底に掘らなければならないだろう。そんなに深い穴を海底にほって100メートルあまりの直径の羽を海上でブンブン、ぶん回したら振動で、魚が逃げていったりしないか。

まあ、逃げていく可能性が高いと思うのが素人の普通の感覚であるように思う。

専門家の方は本当に大丈夫と思っているのだろうか。

こういう話が急に表に出てくるようになると少々やりかたがあらっぽくても炭素削減のパリ協定なんてくそくらえと言っていたトランプ大統領が懐かしい気がする。(今からなつかしいというのはまだ早いけれど)

僕は政治学的な知識には疎いのだけれど、素人なりの直感で、菅政権になってから、官僚や、産業界の人が温めていた考え方が、顕著に表に出てきて、言ってみれば急に官僚主導の政策になってきているような気がする。

本当に、コロナのことも含めて、そして海上で大きな羽をぶん回す、海上での風力発電を自然エネルギー、再生可能エネルギーの名のもとに推進して、二酸化炭素を多くだす会社には重課税をするという話も出てきて、こんなことで本当にいいのだろうかという思いがこみ上げてきた。

なんか世の中全体が、そして世の中の上に立つ人が、もう時代の流れに乗り遅れないことに精一杯で、様々なことに対する安全性、確実性というのを考える余裕がなくなってきていて、その意味でとても無責任になっているように感じる。

そしてそういう現状が一種のアナーキー状態を生み出しているようにも思える。

コロナも科学的にはなかなか解明のつかないことだし、地球温暖化が二酸化炭素のせいというのも本当に科学的に真であると言えるのか、もうこれは規模が大きすぎる話でちょっとわからないなと思う。

なんとかその中でも無事に過ごせるようにと願っている。



冬至 クリスマス

2020年12月21日 | 日記
今日は冬至ということで。

聖書にイエスの誕生日はいつということは書いてなかったと思う。

クリスマスがこの時期であるのはきっと冬至の季節ということに合わせている可能性が高いのではないかと思う。

さて、そのクリスマス。

街を歩いていてちょっと今年は違うなと思うのは、いろんなお店に入っても今年はそんなにバンバン、クリスマスソングが流れてはいないということ。

まったく流れていないというわけではなけれど、洋楽のクリスマスソングや山下達郎のクリスマスイブ、など毎年これでもかというほど流れている歌が今年はそれほど流れていない。

たぶんコロナの自粛ムードと関係あるのだと思う。

そうだとすれば、やはりキリスト教というのは日本では異文化である証拠であるようにも思う。

たたえば、あめにはさかえ というフランク・シナトラもおはこにしていたクリスマスソングの英語の歌詞にはgod and sinnners reconciled 神と罪人が和解したというような一節がある。

確か 地には平和を という聖書の一節もこの歌の英語の歌詞には引用されているように思う。

僕は人間は罪人という考えは好きではないけれど一般的なキリスト教の考えでは罪人とは、一般に人間のことをさす。

地には平和、そして神と人間の和解、という考え方はこのようなコロナのときにこそ求められるものだと思う。

ナットキングコールがおはこにしていた、オーホーリーナイトというクリスマスソングにも
日本語に訳すと「ひさまずいて天使の声を聴け」という一節があった。

本当はフランク・シナトラや、ナットキングコールがおはこにしていた歌に出てくるこういう歌詞は今のようなときにこそ求められる考え方であるように思う。

今年もあとわずか

2020年12月20日 | 日記
気がつけば今年もあと10日くらい。電車が窓を開けて走っているし、例年にもまして寒いなと感じる。

久しぶりに隣の街の駅前を通ったら、毎年の年末のイルミネーションが施されていた。

この景色を見ると冬だなと思うし、過去のいろんな冬のことを思い出す。

ユーミンの 恋人がサンタクロース という歌の歌詞の一節に「あれからいくつ冬が巡りきたでしょう」という一節があるけれど、ふと目にした毎年見慣れたイルミネーションが今までの冬をいろいろと想起させてくれるなと思う。

感染したら少し休んでまた出ておいで

2020年12月19日 | 日記
僕が読んでいるいる全国紙に コロナ 年末年始を乗り切るには というタイトルで要するにコロナに関してどういうことに気をつけたらいいかどういう対策を取るべきがということが書いてある。

記事は、東大医科学研究所の教授の方、そして都立駒込病院感染症科部長の方、そして日本水商売協会代表理事の甲賀香織さんの三方を新聞社の医療部が取材し、記事にまとめたものになっている。

記事を読んでいると、東大教授の方の話が最も抽象的で、日本水商売協会代表理事の甲賀香織さんの話が最も具体的で活き活きしているように僕には思える。

もちろん、物事を抽象的に捉えるということは大切なことで、具体論だけでは知識の体系性やまとまりに欠けてしまうことは事実である。

しかし、一個人の立場としてコロナの対策として何をすればよいのかということに関しては、やはり甲賀香織さんの具体的で活き活きとした話が最も役に立つように思う。

日本水商売協会代表理事の甲賀香織さんは僕なりに要約するとコロナの問題と対策に対して次のようなことを述べておられる。

“”
歓楽街では、陽性になると店に迷惑がかかると言って、PCR検査を受けない人も多い。「感染イコール悪」と位置づけられるからだ。

インフルエンザと同様に、「感染したら少し休んで、また出勤しておいで」という温かい対応が当然にならないと感染拡大は抑えられない。誰もが検査を受けやすくなる環境づくりが大切だ。

ビニールのカーテンで内部を仕切っている店もあるが換気は逆に悪くなるのではないか。飛沫防止や接触感染防止など、数ある対策のうち何を優先すべきか、根拠となるデータとともに具体的に示してほしい。

私は常に自分が無症状の感染者である可能性を意識して、検温、マスク着用、手洗い、アルコール消毒を徹底し、各店舗にも進めている。“”

今までコロナの対策について書かれたものをいろいろ読んだけれど、この甲賀香織さんの指摘が僕にとっては最も的を射ていて、また、現段階で現実的に取りうる対策として最善のものに思える。

特にビニールのカーテンをしているのは、大資本系列の店が多く、個人経営レベルの店はそういうことはしていないケースが多いように僕は思う。

お金はトレーの上で受け渡しとか面倒なことしているのも大資本系列の店が多い。

大資本の上層部にいる人は、そういう司令を下すのだろうけれど、本当に現場レベルのはなしになると、ビニールのカーテンを設置したり、飲食店のカウンターをアクリル板で仕切るのは、換気も悪くなろうし、そのビニールやアクリル板にコロナのウイルスが付着したら、そこから接触感染につながらないのかという不安が僕にはある。

見た目も僕には不潔に思えるし、、。

後ろで人が待っているのにお金をトレーに入れて受け渡ししてみんながイラつくのに耐えるしんどさはレジにたった人にしかわからないと思う。

“”インフルエンザと同様に「感染したら少し休んで、また出勤しておいで」という温かい対応が当然にならないと感染は抑えられない“”という甲賀香織さんの指摘はまさにそのとおりではないかと思う。

そして、どうして、そうならないのか、とも思う。

各方面の専門家の方には、休んで治ったら出ておいでという対応が当然になるようなエビデンスを集めてそのような情報を発信してほしいと思うのだけれど。

あそこでコロナが発生して、こんな差別が起きて、云々という報道ばかりでは、恐怖をあおるだけでそのような状態では感染、ひいてはコロナ騒動はいつまでたっても終わらないように思う。