ケンのブログ

日々の雑感や日記

立春 ふんどしかつぎ 地上の星

2022年02月04日 | 日記歌入り
■立春 
 
立春ですね。

昨日は節分でした。

僕はいなり寿司が結構好きです。いなり寿司は結構安価で、それなりに栄養もありますし。

食品売り場でいつもいなり寿司がおいてある場所にいくと 人がたむろしています。

恵方巻を売ってました。

そうか、今日はいなり寿司はないのかとあきらめました。

しかし、いなり寿司のほかに手ごろなものがみつからなかったので、恵方巻を買うかと思ってもう一度 恵方巻のコーナーに行ったら、後ろからおばちゃんが押してきたので もう恵方巻も買う気がうせました。

僕、行列のできる店は苦手。

押し合いしてまで買わなくてもと思ってしまいました。

■ふんどしかつぎ

新聞に、コロナで、海運会社の業績が好調と出ています。

コロナの巣ごもり需要でコンテナで運ぶ荷物などが増えたことなどがその要因と出ています。

父が海運会社に勤めていたので、海運会社のニュースが目にとまるのかもしれません。

そのニュースの中に、業績は好調でもコロナで港湾労働者などは不足していて、大変と書いてありました。

たぶん、小学校低学年の時だったと思いますが 父の船が 神戸港に入港した時、父の船を訪問しました。

僕は、子供のころから、割と ものごとをボーっと見ているタイプでした。

それで、港の岸壁で、体格のいいおじさんたちがいろいろ荷物を肩にかついで歩いているのをみていました。

荷物をかついでいたおじさんのつれのおじさんが僕に言いました。

「この おっちゃん 昔 前の山の ふんどしかつぎ しとったんやで」と。

体格のいい おじさんだったし 確かに 荷物を 肩にかついでいたので 元 前の山のふんどしかつぎ と言われると 本当に そのおじさんが ふんどしを かついで歩いている様子が目に浮かぶようでした。

ほんとうに そのおじさんは 前の山の ふんどしをかついでいたのか 単なる子供をからかう 作り話だったのか それはわかりません。

ふんどしかつぎ は正しい言葉では 付け人ですね。

たぶん、前の山の ふんどしかつぎ とおしえてくれたおじさんたちが 今にして思えば 神戸港の 港湾労働者だったのだと思います。


建設の現場で働く人とか 港で働く人って 独特の雰囲気がありますね。


■地上の星
中島みゆきさんの「地上の星」をカラオケDAMの音源で歌い、ICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければ嬉しいです。

歌詞の中で

“”つばめよ 教えてよ 地上の星 今どこにあるのだろう“”

というフレーズと

“”名だたるものを追って 輝くものを追って 人は氷ばかりつかむ“”

というフレーズが僕にとってはとても印象的です。

これらフレーズを見ると僕は八王源先生が語っておられたことを思い出します。

こんなことです。

「信仰は信じて仰(あお)ぐと書きます。そんな 仰(あお)いでおっても何にもなりません。

信仰は信じて行なう(おこなう)ことが大切です」と。

天の星を仰ぐよりも 地上のことを考えるべきなのだと思います。

“”崖の上のジュピター 水底のシリウス“”と歌詞にはかかれていますから、この星はきっと天の星ではないのだと想像します。

また、僕は八王源先生が語っておられたこんな言葉も思い出します。

「(坂本)九ちゃんの歌のように 上を向いて歩いておったのでは、足元がどうやらなってまいます。足元をちゃんと見て歩くことが大切です」と。

“”名だたるものを追って 輝くものを追って 人は氷ばかりつかむ“”
というフレーズを見たときに、特に 足元を見ることが大切ということを思い出しました。

ただ、坂本九さんの歌は「涙がこぼれないように上を向いて歩こう」という意味です。

涙がこぼれないように というところまでは八王源先生は たぶん考えずに話をしておられたと思います。

“”名だたるものを追って 輝くものを追って 人は氷ばかりつかむ“”
というところは大切だと思って 意識して歌ったら舌がもつれて、逆にカミカミの歌い方になってしまいました。

↓中島みゆみさんの「地上の星」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。


二酸化炭素を海底に貯留 時代

2022年02月03日 | 日記歌入り
新聞に二酸化炭素を海底に貯留する事業に大手商社が乗り出す方針を固めたとでている。

二酸化炭素を海底に貯留って、そんな、二酸化炭素って普通に空気の中にあるものと思っていたから、なんでまたそんな不自然なことせなあかんのと思ってしまう。

いくらそれで二酸化炭素が削減できたとしても、そんな不自然なことしてたら、また新たな環境破壊がうまれるのではないかと思ってしまう。

僕が、まだ20代の頃は、大手商社って、あこがれの就職先というイメージだった。

今はどうなのだろう。

僕自身にとっては、大手商社って、先頭をきって、わけのわからないことをやっている会社という感じになってしまった。(個人のイメージです)

いろいろな外食のチェーン店とか、コンビニとかそういうところの社長も大手商社出身とプロフィールに書いてあるのを見ると、いろんなところの社長を渡り歩く落下傘のような人というイメージになってしまった。(これも、単に僕個人のイメージです)

本当に時代は変わるものだなあと思う。

僕の成長とともに新幹線が岡山まで開通した、博多までつながったぞ、青函トンネルも開通だ と言っていたころまでは、科学技術で日本も発展していくと思っていた。

今、科学技術もここまでくると、本当に、行く末、大丈夫だろうか、人類はあと何年くらいこの地球に生き延びるだろうと思ってしまう。

それでいて、僕自身も特になにをしているわけでもなく、流れにそっていくのが精いっぱいという感じになっている。

まあ、せめて、形のないものを大切にしていきたいとは思う。


■時代
中島みゆきさんの「時代」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければ嬉しいです。

この歌は、ギターのアルペジオが基調の伴奏です。地声が大きいせいか、途中でアルペジオのリズムがよく聴き取れなくなって、伴奏と歌のタイミングが少しずれてしまいましたが、踏ん張ってまた何とか持ち直しました。ありがちな話とは思います。

中島みゆきさんのデビューアルバム、「私の声が聞こえますか」の最後にこの歌が収録されていました。カラオケの音源は、たぶん、後にみゆきさんがこの歌を録音しなおしたときの音源がベースになっていると思います。

中学生の頃は、みゆきさんのアルバムの中でこの歌は別格だと思っていました。

今もなんとなくそんな風に思っています。

日本の音楽の歴史がある限り歌い続けられる歌だと思っています。

↓↓中島みゆきさんの「時代」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音しました。


大学へ推薦入学 プレッシャー

2022年02月03日 | 日記
今日の新聞の人生案内のコラムにこんな相談が出ている。

“”指定校推薦で(大学の)合格が正式に決まったら、高校の代表として入学することになるため、中退したり単位を落としたりすると後輩に影響すると説明会で言われました。

私は中学時代、いじめでクラスにいるのがつらくて保健室に行ったり、勉強ができる状態ではなくなって成績がおちたりしたこともあるのです。

行きたかった大学の推薦を取れたのは本当にありがたいと思います。でも新しい環境に進むのが不安で 推薦のプレッシャーが怖いです“”と。

これを読んだとき、ああ、そうだな、これは本人にとって切実な悩みだろうなと思った。

もう、真面目な子が陥りやすい典型的な悩みだと思った。

僕自身は、一般入試しか考えていなかったタイプなので、それは指定校推薦でいければ、楽だろうと思っていた。

しかし、指定校推薦で大学に進み、しかも、真面目過ぎてしまう子にとって、これは切実な悩みだろうということは、僕なりに想像できる。

新聞の回答には、新聞紙上という制約もあるとおもうけれど、大学は、中学時代とちがい、広い世界だから、クラスに仲の良い友達ができなくも、サークル活動に居場所が見つかるかもしれないとか 要するに一般的なことが書かれている。

それは、たしかにそうだと思う。

ただ、僕は、もし、この指定校推薦で悩んでいる子と話す機会があったら、個別にもっと別のことを言いたいとおもう。

たとえば、こんなことだ。

確かに、指定校推薦で入ってきた子が、パチンコばかりやっていて授業に来なかったとか、しかも、○○高校の出身者は どうも、例年、パチンコにあけくれて授業に出ない傾向がある ということになったら、ちょっとあの高校は指定校の枠からはずそうかということになるかもしれない。
たまたま、ある年に入ってきた子が、学校になじめなくて単位を落としたりしても、それだけの理由で、その子の出身校を指定校の枠から外すということは通常ないだろう。

その程度のことで、指定校の枠を外していたら、いまどき 指定校の枠からはずれる高校だらけになってしまう。

また、学校の先生というのは全体のデータだけでなく個々の状況も見ているから、もし、学校についていけなくなっても、学校と相談して、しかるべき、カウンセリングを受けたりしたとかの記録が残っていれば、少なくとも不真面目でついていけなくなったわけではないと理解してもらえるはず。

また、困ったときには、ちゃんと学校に相談する姿勢も大切。

そういうことを心がけていれば、どんな結果になっても、後輩に悪い影響が及ぶはずはないだろう。

そんな、いわば、ぶっちゃけた話を、その指定校推薦で悩んでいる子に、したいなと思う。

僕自身も 教育産業で働いていた直観で言うと、指定校推薦で入学して、単位を落としたりすると後輩に影響が及ぶと大学の職員が説明会で生徒にいうのは、きっと、ちょっと脅しをかけるくらいにして気を引き締めないと、今どきの子は勉強の習慣がついていないから、本当に単位を落としてしまうからだと思う。

しかし、そのちょっと気を引き締めるために、おどしぎみに言ったことで、真面目な子が悩んでしまう。

今の世の中にありがちなことの縮図だなと思う。

やはり、学校も、生徒も、保護者も、お互いに信頼関係を築いていくことがよい教育環境を生むために必要だなと思う。









盗人にも三分の理 トラックに乗せて

2022年02月01日 | 日記歌入り
■盗人にも三分の理
新聞の投書にこんなことが書いてある。

“”神奈川県でワゴン車に親子3人がはねられ、男児を含む2人の命が失われた。運転していた女性は、助手席に乗せていたペットのインコの様子が気になって、よそ見をしていたという。本当に許せない“”と。

僕、真面目に想像してみた。ワゴン車にはねられるのと インコに気を取られて人をはねてしまって、生涯「あいつは許せないやつだ」と言われ続けるのとどちらが嫌だろう。

はねられる目に合うのと はねて生涯許せないと言われるのとどちらかを選ばなければならないとしたら、どちらを選ぶだろう。

死ぬというのは経験したことのない不可逆的な世界にいくことだから、やはり、はねる方を選ぶかなとは思うけれど、自分がはねて許せないと言われる役になるのも究極の選択だなと思う。

若いころ祖母を自動車に乗せていた。

狭い道路から右折して広い道路に出た瞬間に「ケンちゃん、シードベルトしてない」と祖母から言われた。

それでシートベルトに気を取られているうちに、右折の角度が甘くなって、自動車が広い道路の歩道に乗り上げてしまいそこで止まった。

当時は、まだ、オートマチックの自動車でなかったから、こういう時は車が止まって幸いだった。

でも、あの時、歩道に人がいたら、間違いなく引いていたと思う。

あの時は、大難が小難ですんでよかった。

新聞のコラムには 関東地方で、医師を殺害してしまった人に対して、医師から親切を受けたのに怒りを返すとは いいかげんにしろ と書いてある。

確かにそうだろうけれど、あやまちを犯した人をとことんたたききってしまうのもまた、息が詰まりそうな気がする。
イエスが「罪をおかしたことのない人がこの(罪をおかした)女に石を投げなさい」 と言ったことを思い返してみるべきだと思う。


八王源先生というのは逆説的な考え方をする人で
「警察は犯人を捕まえて罪人にしてしまう」というのがひとつの口癖だった。

また、「人間は気がおかしくなるくらい逆上しなければ、殺人などできるものではない。殺された側に相手の気持ちを逆上させるような何かがなかったかどうかを考えることは反省するうえでとても大切。また、殺す側にも三分の理があることをわすれてはいけない」と常々言っておられた。

三分の理というのは ことわざにも 盗人にも三分の理 というのがあって、これは盗む側にもそれなりの事情があることに理解を示すことの大切さを示したことわざだ。

何かあったときに、犯人だけを悪者にして、許せない いいかげんにしろ だけで片付けるのは片手落ちであり、ますます閉塞感が募るだけだと僕は思う。

もう少し、私たちは古くからのことわざとか 聖書の記述とか ブッダの言葉などから学ぶべきではないかと思う。


■トラックに乗せて

中島みゆきさんの「トラックに乗せて」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップします。

聴いていただければうれしいです。

「おじさん トラックに乗せて 次の街までいやでなければ 乗せて行ってよ 今夜は雨だよ」って中学生のころ聴いた時、中島みゆきさんってすごい人だなと思いました。

ちょっと調べてみるとこの歌がリリースされたとき中島みゆきさん24歳。

いまどき、24歳でこんな思い切った歌を歌う人いないと思います。時代ということもありますが、やはり中島みゆきさんの個性だと思います。

次の街まで いやでなければ 乗せて行ってよ で いやでなければ という譲歩の姿勢を示すところはみゆきさんの性格だと思います。

思いきっていても譲歩の気持ちを持つ人って奥ゆかしいですね。

「どこか曲がるところを探して早く角を曲がってしまおうよ だって バックミラーにちらちら 街の明かりが揺れてついてくるのよ」というフレーズが印象的に何度も繰り返されます。

中学生の頃は このフレーズ印象深いなとだけ思っていました。

角を曲がるというのは 一つの “”結界“”だと思います。

角を曲がると街の明かりという 俗の世界から離れて トラックの中でしばし、現実を忘れられる。

その意味での“”結界“”です。

 トラックの中だから あの人の名前を呼んでもわからない 涙をこぼしてもわからない ということで現実を離れても ちょっと、寂しい気持ちもありますね。

それが、この歌で大切な要素だと思います。

あと 次の街まで乗せて行って というように 俗から離れたトラックの中も 次の街までという限定条件がついている。

いつまでもトラックに乗っているわけにはいかない 次の街までというのは一つの“”節度“”ですね。

節度をもつことが大切と思います。

いつまでもトラックに乗っていたら危険かもしれないし、、、。

本当に いろいろなことを教えてくれる歌だと思います。

たとえ24歳であっても天才的な人からは学ぶことが多いということですね。

↓↓中島みゆきさんの「トラックに乗せて」をカラオケJOYSOUNDの音源で歌い、ICレコーダーで簡易に録音したものです。