一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』……黒木華の魅力あふるる……

2021年11月28日 | 映画


佐賀県は人口が少ないということもあって、
公共交通機関があまり発達していなくて、
外出する際に、車は、なくてはならないものとなっている。
なので、佐賀県では1人1台が普通で、
わが家も子供2人が結婚して独立するまでは一家に4台の車があった。
現在は、私と配偶者の2人住まいなので2台の車があるのみ。
65歳で定年退職して2年数ヶ月。
今は、午後から半日だけ働いて、
午前中や公休日は、登山や映画鑑賞や読書など、好きなことをして過ごしているが、
会社への通勤や、登山口までの移動、映画館へ行くときなどには車が必要で、
車は「手放せないもの」として私の中で認識されていた。
だが、新型コロナウイルスによるパンデミックを経験し、
移動が制限されている中で生活しているうちに、
〈車はかならずしも必要ないのではないか……〉
と考えるようになってきた。
燃料代、定期点検費用、車検費用、税金など、車の維持費は馬鹿にならないし、
年老いて働けなくなり、年金だけで生活するようになったら、
(私より8歳年下の)配偶者の車のみ残し、
私の車は手放そう……と思うようになった。
働かないようになれば通勤の必要はないし、
わが家の玄関を登山口として登れる山もいくつかあるし、
歩いて行ける範囲に、
図書館も、市役所も、病院も、コンビニも、(JRの)駅も、バス停もある。
映画館へは配偶者の車を借りればイイ。
何の不自由もない。
ホンダの50ccのスーパーカブでもあれば、ちょっとした遠出もできる。
「車はなくても生活できる!」と確信するに至った。

佐賀県には、現在、
シネコンが2館(イオンシネマ佐賀大和、109シネマズ佐賀)、
ミニシアター系が2館(シアターシエマ、シアターエンヤ)あるのだが、
わが家からは遠く、どの映画館へ行くにも車を使っていた。
唯一、公共交通機関(電車)で行けそうなのが、唐津市にあるシアターエンヤで、
これまでは車で行っていたのだが、いつか電車で行ってみたいと思っていた。
シアターエンヤはミニシアター系の映画館ではあるが、
唐津市での唯一の映画館であるため、
必ずしもミニシアター系の映画のみを上映しているのではなく、
一般の(良質な)話題作なども上映している。(ただし、かなり遅れての上映)
黒木華と柄本佑がW主演の映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』は、
公開日の今年(2021年)9月10日に、109シネマズ佐賀でも公開されたが、
見る機会を逸し、後悔していたところ、
シアターエンヤで11月19日~11月25日の1週間上映されることが判り、歓喜。
せっかくなので(車のない生活を想定して)電車で行ってみようと思った。

最寄り駅から唐津線の電車に乗り、唐津駅まで約40分。(読書タイム)
唐津駅からシアターエンヤまで徒歩2分。(近い!)
わが家から1時間もかからずに映画館に到着。


「これはイイ!」
「これで、車のない生活になっても映画を映画館で見ることができる!」
と、シアターエンヤの存在に感謝。


2019年10月25日にオープンしたシアターエンヤは、
映画館がなくなって20数年前が経っていた唐津に、
久しぶりに復活・誕生した新しい映画館。
前身は「唐津シネマの会」という団体で、
別な場所(市民交流プラザオーテホール)で2012年より定期的に上映会を続けてきた。
「エンヤ」は、世界文化遺産「ユネスコ」に登録された年に一度の秋の例大祭「唐津くんち」のかけ声にちなんでいて、「唐津くんち」のように、多くの人に親しまれ、文化芸術を発信する映画館となるようにとの願いが込められている。


KARAE(唐重)という新しい商業施設の1階にあり、




62席の1スクリーンを有し、


デジタルシネマに対応しているが、35mmフィルムでの上映も可能である。



映画『先生、私の隣に座っていただけませんか?』を見たいと思った理由は、
私の好きな女優の黒木華、奈緒、風吹ジュンが出演していたから。
監督は、堀江貴大。


オリジナル企画のコンテスト「TSUTAYA CREATORS' PROGRAM FILM 2018」で、
準グランプリ受賞した作品を、堀江貴大監督が自ら映画化したもので、
漫画家夫婦の虚実が交錯する心理戦を描いたドラマだとか。
シアターエンヤの真新しい席に座り、
私はゆったりとした気分で映画を鑑賞したのだった。



早川佐和子(黒木華)と、早川俊夫(柄本佑)は、
結婚5年目の漫画家夫婦。


佐和子と俊夫は、かつては弟子と先生の関係であったが、
自分の漫画が描けなくなった俊夫は、
佐和子のアシスタント兼マネージャーのような役割をしており、
今は立場が逆転している。


俊夫は、佐和子の担当編集者・千佳(奈緒)と不倫中だが、
ばれていないと信じている。


しかし、佐和子の新作漫画「先生、私の隣に座っていただけませんか?」の原稿を読み、
そこに、自分たちとよく似た夫婦の姿が描かれ、
さらに、
俊夫と千佳との不倫現場までがリアルに描かれていて、俊夫は恐れおののく。


やがて物語は、
佐和子と自動車教習所の先生・新谷歩(金子大地)との淡い恋へと急展開する。




この漫画は完全な創作なのか?
ただの妄想なのか?
それとも夫に対する佐和子からの復讐なのか?
現実そっくりの不倫漫画を読み進めていく中で、
恐怖と嫉妬に震える俊夫は、
現実と漫画の境界が曖昧になっていく……




「キネマ旬報」のキネ旬Reviewの採点が異常に低かったが、
近年、キネ旬Reviewの評者のレベルが落ちており、心配はしていなかった。
キネ旬Review最低点を付けられていた作品に、優れた作品が少なからずあったからだ。
事実、本作『先生、私の隣に座っていただけませんか?』も大いに楽しめたし、
黒木華の魅力をこれまで以上に感じることができ、嬉しかった。


最初、
『先生、私の隣に座っていただけませんか?』というタイトルの意味が不明であったが、
鑑賞しているうちに、
夫である俊夫(柄本佑)に対する言葉なのかと思った。
だが、自動車教習所の先生・新谷歩(金子大地)が登場するに及んで、
新谷に対する言葉なのか……と思うようになった。
その後も、物語の展開によって、タイトルの意味が二転三転し、
見ている者も翻弄される。
これが実に楽しかった。


佐和子が仕掛けた復讐は、
夫を苦しませることが目的なのか?
それとも、
自分の漫画が描けなくなった夫のための救済策なのか?
佐和子の目論見も、最後の最後まで判らない。
いや、最後になっても判らない……か?
謎が深まるにつれ、
佐和子が描くラブストーリーは、
俊夫にとってはホラーとなっていき、(笑)
俊夫は精彩を失くしていく。


それに反比例するかのように、佐和子は美しく輝き、


演じている黒木華も色香を増し、妖艶になっていく。(極私的感想)
この変化が、黒木華ファンとしてはたまらなかったし、
黒木華をずっと見ていたい気分であった。



早川佐和子を演じた黒木華。


主演映画である、
『シャニダールの花』(2013年)
『リップヴァンウィンクルの花嫁』(2016年)
『日日是好日』(2018年)
『ビブリア古書堂の事件手帖』(2018年)
などはもちろん、
主演ではなくても、
『草原の椅子』(2013年)
『舟を編む』(2013年)
『小さいおうち』(2014年)
『繕い裁つ人』(2015年)
『幕が上がる』(2015年)
『ソロモンの偽証』(前篇・事件、後篇・裁判)(2015年)
『永い言い訳』(2016年)
『散り椿』(2018年)
『来る』(2018年
『甘いお酒でうがい』(2020年)
『浅田家!』(2020年)
『星の子』(2020年)
などの傑作、秀作、佳作で、存在感を示しており、
私も鑑賞後には必ずレビューを書き、黒木華の魅力を伝えてきた。
こうして列記してみると、
休みなく映画に出演していることが判るし、
その間にもTVドラマにも出演し、
「重版出来!」(2016年4月12日~6月14日、TBS)
「みをつくし料理帖」(2017年5月13日~7月8日、NHK総合)
「凪のお暇」(2019年7月19日~9月20日、TBS)
などで主演し、我々を楽しませてくれた。

本作『先生、私の隣に座っていただけませんか?』では、
漫画家夫婦ではあるが、俊夫は長いこと自分の漫画を描けずにいるので、
佐和子が一家の大黒柱的存在になっているのだが、


俊夫が一刻も早く自分の漫画が描けるようになることを願っているようにも見え、
夫婦であっても、依存したり、依存されたりすることを嫌っているフシがある。


なので、免許を持っていない佐和子は、
これまでは、夫が運転する車の助手席に乗ることしかできなかったが、
自由や自立を求め、車の免許を取得することにする。
そのことによって、夫婦関係が微妙に変化していき、
佐和子は以前よりも輝きを増していく。


(近い将来)車を手放そうか……と考えている私が言うのも何だが、(笑)
車が運転できれば、自由に好きな所へ行くことができる。
車は、“自由の象徴”のような存在である。
佐和子が車の免許を取得し、どこへでも行ける自由を手にしたとき、
「先生、私の隣に座っていただけませんか?」
という(誰かへの)問いかけは、
やはり(自由と自立を得た)自分の車の隣の席ということのような気がした。
ということは……


本作は、
どのようにでも解釈できる展開の映画であるが、
どのようにでも解釈できる展開を可能にする演技は、難易度が高いものだ。
それができたのは、黒木華の繊細かつ豊かな表現力の賜物であったし、
黒木華にしかできないことであったと思う。



佐和子の担当編集者・千佳を演じた奈緒。


連続テレビ小説「半分、青い。」(2018年4月2日~9月29日、NHK) で、
ヒロイン(永野芽郁)の親友・木田原(西園寺)菜生を演じているのを観て、
奈緒という女優を知った。
初めて見たとき、
〈蒼井優と同じ雰囲気を持った女優だな……〉
と思ったのだが、
蒼井優と同じ福岡県出身と知って、益々その感を強くした。
(ちなみに、黒木華を初めて見たときも蒼井優を思い浮かべた)
その後、
「あなたの番です」(2019年4月14日~9月8日、日本テレビ)の尾野幹葉役でブレイク。
奈緒を見ない日はない……というくらい人気者になっているが、
まだ映画にもTVドラマにも代表作はないような気がする。
『草の響き』(2021年10月8日公開)は優れた作品のようなので、早く見たいのだが、
佐賀では12月3日からの公開なので、もうしばらく待つしかない。
本作『先生、私の隣に座っていただけませんか?』では、
主役ではないということもあって、才能の片鱗しか見せていないが、




女優として凄い才能の持ち主だと(私は)思っているので、
いつか、優れた監督の作品で主演し、才能を全開させ、
日本中の人に(いや、世界中の人に)アピールしてもらいたいと思う。



佐和子の母・下條真由美を演じた風吹ジュン。


1973年に初代ユニチカマスコットガールに選ばれ、
デイヴィッド・ハミルトン撮影によるポスター写真で一躍有名になったが、
当時は歌も演技もそれほど上手くなかったし、
将来これほど女優として成功するとは思わなかった。


小池栄子、佐藤江梨子、井川遥、MEGUMI、酒井若菜、雛形あきこなど、
今は、グラビアアイドル的存在から女優になって成功している人は多いが、
風吹ジュンはその先駆けであったかもしれない。
風吹ジュンを、女優としてしっかり認識できたのは、
報知映画賞主演女優賞を受賞した『コキーユ・貝殻』(1999年)からであるが、
『コキーユ・貝殻』は大好きな作品なので、今でも機会があれば見るようにしている。


本作『先生、私の隣に座っていただけませんか?』では、
出演シーンは少ないものの、
存在感のある演技で、本作をしっかり支えていた。



佐和子の夫・早川俊夫を演じた柄本佑。


ここ数年に限っても、
『素敵なダイナマイトスキャンダル』(2018年)
『きみの鳥はうたえる』(2018年)
『居眠り磐音』(2019年)
『アルキメデスの大戦』(2019年)
『火口のふたり』(2019年)
『Red』(2020年)
『青くて痛くて脆い』(2020年)
などで素晴らしい演技を見せているし、
私もレビューで彼の演技を褒めてきた。
特に、『素敵なダイナマイトスキャンダル』、『きみの鳥はうたえる』、『火口のふたり』での演技は秀逸で、現時点でいくつもの代表作を持つ稀有な男優。
本作『先生、私の隣に座っていただけませんか?』は、黒木華とのW主演ではあるが、
黒木華を引き立たせるような抑えた演技が多く、感心させられた。


そういった心遣いの所為か、来年に控える映画も、
『殺すな』(2022年公開)
『真夜中乙女戦争』(2022年公開予定)
『ハケンアニメ!』(2022年公開予定)
『川っぺりムコリッタ』(2022年公開予定)
など、目白押し状態。
柄本佑からも目が離せない。



自動車教習所の先生・新谷歩を演じた金子大地。


今年だけでも、
現時点での彼の代表作『猿楽町で会いましょう』(2021年6月4日公開、監督:児山隆)
今夏一番の話題作『サマーフィルムにのって』(2021年8月6日公開、監督:松本壮史)
のレビューで彼のことを論じているし、
金子大地は、今、最も“勢い”のある男優のひとりと言える。
本作『先生、私の隣に座っていただけませんか?』でも、
自己主張するような演技はしていないのに、しっかり存在感を示しており、
見る者の記憶にも鮮烈な印象を残す。


『私はいったい、何と闘っているのか』(2021年12月17日公開予定、監督:李闘士男)
『Pure Japanese』(2022年1月28日公開予定、監督:松永大司)
など、公開を控えている作品も多く、
柄本佑と同様、これからの金子大地が楽しみでならない。



「不倫」を扱った小説で、私が“傑作”と崇めるのは島尾敏雄の『死の棘』で、
「不倫もの」の白眉と言えるだろう。
夫の不倫を糾弾・尋問し、神経が狂ってしまった妻を題材にした私小説なのであるが、
読むのが辛くなるような展開で、読む者の神経もヒリヒリさせられる。
(小栗康平監督によって1990年に映画化もされているが、こちらも傑作)
堀江貴大監督も、島尾敏雄の『死の棘』が好きで、
『先生、私の隣に座っていただけませんか?』の俊夫は、
島尾敏雄の敏雄からいただいた名前とのこと。

夫婦関係が捻じれたり、壊れていくのって一歩引いて見たら喜劇的。それを描いてみたいなと。そして、夫ではなく、妻の方を主人公にしてみたいと思ったんです。(「映画.com」インタビューより)

とは、堀江貴大監督の弁。
映画にも、不倫を描いた傑作、ヒット作は数多くあるが、
じっとりと湿度が高く、破滅、悲恋といったような暗く重いものが主流を占めている。
だが、本作『先生、私の隣に座っていただけませんか?』は、
そういった紋切り型の「不倫もの」とは無縁で、
カラッとしていて、軽やかで、ユーモラスで、描き方も斬新。
しかも、黒木華の魅力がスクリーンいっぱいにあふれている。
前期高齢者ともなると、ドキドキすることもなくなり、
内面的にも変化の乏しい日常となるが、
『先生、私の隣に座っていただけませんか?』のストーリー展開にはドキドキさせられたし、
(極私的には)黒木華の魅力の方に、よりドキドキさせられた。


黒木華の魅力がいっぱいに詰まった、
(私にとっては)ギフトのような作品であった。

この記事についてブログを書く
« 「桜山」と「鍋島藩武雄領主... | トップ | 金立山(東南尾根ルート~正... »