一日の王

「背には嚢、手には杖。一日の王が出発する」尾崎喜八

映画『パラレルワールド・ラブストーリー』 ……謎めいた吉岡里帆に魅了される……

2019年06月08日 | 映画
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「パラレルワールド」(parallel world)とは、
SF、または物理学の世界で使用されている用語で、
ある世界(時空)から分岐し、それに並行して存在する別の世界(時空)を指す。
並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。
「この現実とは別に、もう1つの現実が存在する」
というアイディアは、
「もしもこうだったらどうなっていたのか」
という考察を作品の形にする上で都合がよく、
「パラレルワールド」は、SFにおいて、きわめてポピュラーなアイディアと言える。

タイムトラベルなどで過去の歴史を改変することによって生じる逆説の総称を、
「タイムパラドックス」と呼ぶが、
この「タイムパラドックス」の解決法として「パラレルワールド」が用いられる場合がある。
すなわち、
タイムトラベルで行き着いた先は、実際は、現実に酷似したパラレルワールドであり、
どの時間軸で歴史を変えようとしても、自分がいた元の世界には影響しない……
という利点があるからだ。
だから、「パラレルワールド」を扱った小説、(コチラを参照)
漫画、(コチラを参照)
TVドラマは多いし、(コチラを参照)
「パラレルワールド」が題材の映画も数えきれないほどある。(コチラを参照)

5月31日に公開された映画『パラレルワールド・ラブストーリー』も、
タイトルを見ればすぐ判るように、
「パラレルワールド」を扱っている作品だ。
私の好きな女優、吉岡里帆や美村里江や、
演技が優れている男優、染谷将太も出演しているので、
〈見たい!〉
と思った。
で、公開直後に映画館に駆けつけたのだった。



最先端の研究を行う会社に勤務する敦賀崇史(玉森裕太)と、


幼なじみの三輪智彦(染谷将太)。


ある日、智彦に、恋人の津野麻由子(吉岡里帆)を紹介される。


麻由子を見た崇史は、驚き、呆然となる。
なぜなら、
学生時代に並行して走る電車で見て、






崇史が人知れず淡い思いを抱いていた女性が、






そこに立っていたからだ。


だが、ある日、目覚めると、
麻由子が崇史の恋人として朝食を作っていた。
麻由子が「親友の恋人」である現実と、
「自分の恋人」である現実。


2つの世界で崇史が翻弄されていく……




原作は、1995年に刊行された東野圭吾の同名小説で、
私は原作を読まずに映画を見た。
ストーリーを知らずに映画を楽しみたかったからだ。
だが、一度見ただけではよく分らない作りになっており、
ストーリーを確かめるために、私は、映画鑑賞後に原作を読んでみた。
それで、ようやく作品の全体像を把握することができたのだった。



※ここからは、少しネタバレします。
これから本作を見ようと思っておられる方は、
映画鑑賞後にお読み下さるよう、お願いいたします。



映画『パラレルワールド・ラブストーリー』では、
崇史にとっての、
麻由子が恋人の世界と、
麻由子が親友・智彦の恋人である世界が、
交互に映し出される。
なぜそうなっているのかの説明がないので、
途中までは、観客はかなり混乱する。
だが、次第に、主人公の崇史は気づく。
〈自分の記憶が改編されているのではないか……〉
と。
そう、「記憶の改編」が、この物語のキーポイントなのだ。


現在放送中のTV番組に、
『あいつ今何してる?』(テレビ朝日、2015年10月10日~)というのがある。
ゲスト出演者の学生時代の同級生が今、何をしているのかを調査するドキュメントバラエティ番組なのだが、
ゲストと、実際に会ったクラスメイトの記憶が食い違っていることが多い。
「付き合っていた」と言うゲストに対し、
「付き合ってはいなかった」というクラスメイト。
「明るい性格だった」というゲストに対し、
「いや、明るくはなかった」というクラスメイト……という具合に、
記憶の食い違いが、この番組の見所のひとつになっている。
なぜ、このような食い違いが起こるのかというと、
それぞれが、自分に都合のいいように、自分の記憶を改編しているからだ。

「記憶の改編」について、原作ではこのように書かれている。

「これはある本に書いてあることだけどね、警察に逮捕されながらも無実を主張する犯人の中には、次第にこの錯覚に陥ってしまう者も少なくないらしい。実際には犯罪を犯しているにもかかわらず、何度も何度も嘘の供述をしているうちに、それが本当のことだと思い込むようになるんだ」
「聞いたことがある」
「これはいずれも、人間の自己防衛本能と解釈できるかもしれない。そこで僕はこの本能を利用することを考えた。人為的に、こういった状況を作りだせないものかと思ったわけだ。この一年の間、僕が取り組んでいた研究とは、まさにそれだった」
(講談社文庫414頁)

この「記憶の改編」が「どのように行われていたか……」が、
この物語の「謎」の部分でもあるので、そこまでは書かないが、
「パラレルワールド」の正体が「記憶の改編」とは、
正直、拍子抜けしてしまった。
あまりにも古臭いと思ったからだ。
それもそのはず、この原作は1995年に刊行されており、
もう四半世紀前のものなのだ。
映画で、この「記憶の改編」をする装置も出てくるのだが、
これが、子供向けのSFドラマに出てくるような幼稚な装置で、
思わず笑ってしまった。

このように、
「パラレルワールド」の正体が「記憶の改編」というガッカリ感はあったのだが、
それでもこの映画を「最後まで見るべきもの」にしているのは、
玉森裕太、染谷将太の熱演もさることながら、


吉岡里帆の素晴らしい演技力だ。


崇史の恋人と、
智彦の恋人という、
二役と言っていいほどに雰囲気の違う難役を、見事に演じ切っている。


加えて、彼女の謎めいた魅力。


崇史、智彦だけでなく、
この映画を見た人はすべからく、彼女に魅せられてしまうのではないだろうか……



この映画のラストは、原作とは少し変えてあって、
大ヒットアニメ映画『君の名は。』風というか、
韓国TVドラマ『夏の香り』風というか、
これからの展開に希望を残す、余韻のあるラストシーンとなっている。
そのラストシーンにかぶさるように、
宇多田ヒカルの「嫉妬されるべき人生」が流れる。
この曲と、宇多田ヒカルの声が実に心地よい。
予告編でも流れるので、ぜひぜひ。

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