梅雨、真っ只中である。
本当によく降る。
今日は、朝から用事があったが、午後に2時間ほど時間ができた。
で、近くの山に遊びに行った。
「えっ、こんなに降ってるのに行くの?」
と、二女が驚いていた。
それほどの雨であった。
だが、行くのだ。(笑)
徒歩日本縦断の旅をしたとき、北海道では雨に祟られた。
北海道を歩いていた約1ヶ月の間、私はずっと雨に濡れながら歩いていた。
なかでも石狩平野を歩いた日は凄かった。
朝から晩まで、休みなく雨は降り続いた。
それこそ「バケツをひっくり返したような雨」が一日中続いたのだ。
ゴアテックスの雨具も登山靴も何の役にも立たなかった。
早朝から歩き始め、私はその日、60kmほど歩いた。
ほとんど休憩も取らず、ひたすら歩き続けた。
激しい雨に打たれながら、まるで修行僧のように……
何台かの車が止まり、乗るように諭された。
「歩き旅をしているのです」
その都度、私はそう答え、乗車を断った。
ずぶ濡れの私が乗車を断ると、
「なに馬鹿なことを言ってるの。早く乗りなさい!」
と怒り出す人もいて、困った。
歩き始めた頃は、雨の日に歩くのはイヤだった。
だが、雨だからと歩かなければ一歩も前に進まない。
最初は仕方なく歩いていた。
だが、次第に、雨の日に歩くことが苦痛ではなくなっていった。
そして、晴れた日よりも雨の日の方が、距離が稼げるようになった。
雨の日の方が、集中して歩けるのだ。
その事に気づいてからは、雨の日に歩くことが快感になっていった。
雨の日に歩くことが楽しくなった。
雨の日は、何か大いなるものに抱かれているような心地よさがあった。
作礼山は、ヤマボウシがたくさん咲いていた。
山のあちこちに白いかたまりが見える。
作礼山はヤマボウシの山であった。
ヤマボウシを見に遠くまで出かける必要などないのだ。
大雨で、至る処に滝ができていた。
森の緑が美しい。
当然のことながら、こんな日に山に登っているのは私ひとり。
足許の花だけが、そのことを知っている。
池のほとりに佇む。
雨がさらに激しく降り出す。
モウセンゴケは、大喜びをしている。
「ねっ」
満開のヤマツツジが美しい。
体が緑に溶け込んでいく。
山という命の器のなかで、生かされている私を感じた。
本当によく降る。
今日は、朝から用事があったが、午後に2時間ほど時間ができた。
で、近くの山に遊びに行った。
「えっ、こんなに降ってるのに行くの?」
と、二女が驚いていた。
それほどの雨であった。
だが、行くのだ。(笑)
徒歩日本縦断の旅をしたとき、北海道では雨に祟られた。
北海道を歩いていた約1ヶ月の間、私はずっと雨に濡れながら歩いていた。
なかでも石狩平野を歩いた日は凄かった。
朝から晩まで、休みなく雨は降り続いた。
それこそ「バケツをひっくり返したような雨」が一日中続いたのだ。
ゴアテックスの雨具も登山靴も何の役にも立たなかった。
早朝から歩き始め、私はその日、60kmほど歩いた。
ほとんど休憩も取らず、ひたすら歩き続けた。
激しい雨に打たれながら、まるで修行僧のように……
何台かの車が止まり、乗るように諭された。
「歩き旅をしているのです」
その都度、私はそう答え、乗車を断った。
ずぶ濡れの私が乗車を断ると、
「なに馬鹿なことを言ってるの。早く乗りなさい!」
と怒り出す人もいて、困った。
歩き始めた頃は、雨の日に歩くのはイヤだった。
だが、雨だからと歩かなければ一歩も前に進まない。
最初は仕方なく歩いていた。
だが、次第に、雨の日に歩くことが苦痛ではなくなっていった。
そして、晴れた日よりも雨の日の方が、距離が稼げるようになった。
雨の日の方が、集中して歩けるのだ。
その事に気づいてからは、雨の日に歩くことが快感になっていった。
雨の日に歩くことが楽しくなった。
雨の日は、何か大いなるものに抱かれているような心地よさがあった。
作礼山は、ヤマボウシがたくさん咲いていた。
山のあちこちに白いかたまりが見える。
作礼山はヤマボウシの山であった。
ヤマボウシを見に遠くまで出かける必要などないのだ。
大雨で、至る処に滝ができていた。
森の緑が美しい。
当然のことながら、こんな日に山に登っているのは私ひとり。
足許の花だけが、そのことを知っている。
池のほとりに佇む。
雨がさらに激しく降り出す。
モウセンゴケは、大喜びをしている。
「ねっ」
満開のヤマツツジが美しい。
体が緑に溶け込んでいく。
山という命の器のなかで、生かされている私を感じた。