十六世紀後半から十七世紀前半、日本で言えば、戦国時代後半から江戸時代初期の時代、ポルトガルとスペインが世界の海を支配し全盛を極めていました。
また、日本では豊臣秀吉が朝鮮出兵を行ったり、キリシタン追放、江戸幕府の鎖国と、急激に外国との係わりが変化していった時代です。さらにヨーロッパでは魔女狩りが盛んになり、異端審問のため、ユダヤ教徒がアジアなどに逃れる動きもあったようです。
そんな時代にイエズス会、スペイン、ポルトガルが日本人奴隷を禁止したこともあり、歴史のダークサイドである人身売買の奴隷に掛かる公的記録は乏しく断片的です。
主人が異端審問にかけられ証言者としての記録や、主人が亡くなった時の遺言で解放され、財産を受け継ぎ大金持ちになった奴隷の記録、暴動を起こし処刑された記録、また、ポルトガル人やスペイン人と結婚した記録などが残っているのです。
また、公に禁止された日本人奴隷が現場では、家事奴隷や、傭兵として有能で、欠かせない存在でいることにより、無くなることはなかった矛盾もありました。
日本人が生存していた記録は、マカオ、フィリピン、印度、スペイン、ポルトガル、メキシコ、ペルーなどにも及び、ほとんど全世界に散らばっていたのです。
奴隷は、さらわれたり、騙されたり、戦の捕虜だったり、親に売られたり、自分で自分を売って奴隷として国外へでたりと様々で、その運命も様々でした。
主人の後を継ぎ大金持ちになったり、傭兵として暴れまわったり、年老いて解放という名の解雇で物乞いに落ちたり、折檻で命を落としたりと、人の運命はわかりません。
奴隷にも年季奉公のような期限付きのものもあれば、終身奴隷の身分もあり、金を貯めてそれを払えば自由人になれたりと、様々だったようです。
日本の国内では、奴隷と言う言葉はつかわれませんが、年季奉公や遊郭の遊女なども、システムとしては奴隷とそん色なかったと言えるでしょう。
そんなことを考えながら読むと、もしかして、現代の日本でも、奴隷ではないけれど、奴隷のようなシステムにハマってしまっている人もいるのではないかと考えさせられました。