The Wreck of The Edmund Fitzgerald (Live In Reno)
ゴードン・ライトフットが1976年にリリースしたシングル
「エドモンド・フィッツジェラルド号の難破」を和訳しておきたい。
因みのこの曲は1975年11月に実際に起こった惨事を歌っている。
「Wreck of The Edmund Fitzgerald」 Gordon Lightfoot 日本語訳
その伝説はチペワ川から「ギッチ・グメ」と呼ばれる大きな湖にかけて息づいている
11月の空が陰鬱な感じになる時
その湖は死のような静けさを決して崩さないと言われている
11月の強風が早めに吹くと
船自体よりも重い2万6千トンの
重金属を乗せたエドモンド・フィッツジェラルド号は空になり
その良船と乗務員は「骨の髄まで噛み裂かれた」
その船はアメリカにとっては誇りだった
ウィスコンシン州にあるいつもの採鉱所からの帰りで
経験豊富な乗務員と優秀な船長によって
どの船よりも大きな貨物船は出航する
数社の鉄鋼会社と協約を締結し
満タンに積み込んでクリーヴランドへ向かい
その時船の出航の汽笛が鳴ったあの夜
彼らが感じていたのは北風ではなかったのだろうか?
ワイヤーに当たる風は子供たちがお喋りするような音を放ち
波が手すりを越えてきた時
船長も含めて全員が
11月の魔女が忍び込んできたことを知った
夜明けがゆっくりと現れるから朝食は待っていなければならなかった
11月の強風が切りつけに来て
午後が来た時には
ハリケーンの西風に向かって氷のような冷たい雨が降っていた
夕食時には
年老いた料理人がデッキに現れると
「おまえたちに食事を提供するのは無理そうだな」と言った
午後7時にはメインのハッチが陥没し
「おまえたちと知り合えて良かったよ」と言った
船長は懸命に努力したが水が入ってきた
良船とクルーは危険にさらされた
夜遅く船の灯りが全て視界から消えた時
エドモンド・フィッツジェラルド号は難破したのだ
波の到来が数分から数時間になった時
神の愛がどこへ行ってしまったのか誰か知っているだろうか?
もしももう15マイル先へ行けていたなら
彼らはホワイトフィッシュベイにたどり着けたと
検査官全員が口をそろえて言う
船が真っ二つにならないとしたならば転覆していただろう
裂け目が深ければ漏水しただろう
残されたものは妻や息子や娘の顔写真と名前だけだった
氷水のような船体の部屋の中で
ヒューロン湖はうねりスペリオル湖はうなる
いにしえのミシガン州は若者の夢のように息巻く
その島も湾もスポーツマン専用になる
遥か下にあるオンタリオ湖は
エリー湖が送れるものを受け入れる
鉄製のボートは
忘れられない11月の強風を知っている海兵隊員たちによって操縦される
デトロイトのかび臭い古いホールで
彼らは祈った
海軍船員大聖堂で
エドモンド・フィッツジェラルド号の乗務員の人数と同じ
29回まで教会は鐘を打った
その伝説はチペワ川から「ギッチ・グメ」と呼ばれる大きな湖にかけて息づいている
11月の強風が早めに吹く時
スペリオル市は死者たちを決して諦めないと言った
Gordon Lightfoot - Wreck Of The Edmund Fitzgerald (Official Audio)
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