目覚め

2010年12月20日(月)

全てが一通過点

2016年10月24日 | Weblog

昨年末から今年初頭にかけて、私には特定のグルが居ないので、グルとは何ぞやを模索していました。

私なりに行きついたグルとは、やがて「導かれるものも導くものも居ない」という場所に到達するまでの、流れの中の一通過点であると言う事でした。
私のように杉の木を始めとし、見るもの全てが師(グル)と捉えている場合もありますし、特定のグルの教えにより学びを得る方も居ます。 
その、どちらにも良し悪しはなく、ただそうあるというだけの事でした。


意識が大きなが変化を起こすパターンは、一定の流れがある訳ではありません。
娘や片割れ君も、特定のグルが居たわけではなく、見るもの全てが師と捉えているパターンですが、その流れは各々違います。

娘のくぅちゃんは、自分を振り返り、足らないものは感謝だと気づき、ありがとうを言い続け、善行を重ねていたら、ある日突然にそれはやって来て、一気に肉体を離れそうになったと言います。

片割れ君は、3.11の地震を切っ掛けに大きく変化し、肉体を離れそうになったと言います。

他にも、ヨーガを続けているうちに変化する方もいれば、誰かのヒーリングがきっかけであることもあるでしょうし、ツインに会ったことが切っ掛けになる方もいるでしょう。
このように、気づきと共に起こる意識の変化の流れは、人の数だけあると思います。


私には特定のグルがいるわけではありませんので、その都度接した物や方々から学ばせていただき、少しづつ内なる統合が起こったので、全てが師であると感じています。

眠りきらず半開きのまま大人になり、20代で一旦眠ったものの、30代で再び少しづつ開き始め、大きく変化したのが6年前。
その後はゆっくりと階段を上がるように変化し、5年目で宇宙の概要を垣間見て、未だに変化し続けています。

体験してきた変化のきっかけは様々で、チャクラ浄化のCDを聞いているうちに、クンンダリーニ昇華し、杉の木との共振共鳴で意識が反転しました。

その後は出会った方々からの学びの変化や、娘のくぅちゃんのヒーリングによる変化、片割れ君との松果体の共有による変化、誘導瞑想による変化、アンマのダルシャンにより最後まで残った執着が外れるなど、こんな流れで、全てのカルマが消えた後、梵我一如の体験があり今があります。



梵我一如とは、ウキペディアより引用
>梵我一如(ぼんがいちにょ)とは、梵(ブラフマン:宇宙を支配する原理)と我(アートマン:個人を支配する原理)が同一であること、または、これらが同一であることを知ることにより、永遠の至福に到達しようとする思想。古代インドにおけるヴェーダの究極の悟りとされる。不二一元論(advaita, アドヴァイタ)ともいう。


この表現にもあるように、師も個の私も消えた時に、作り手と作られ手が揃って一つの物であり、全ての様を見ているだけの、完全自立にも似た、たった一つのものであると同時に、全体そのものであることに気づいた瞬間でした。


全ては無常である故、刻々と変化して行くものです。
私という一人の人間が、悟りで生まれ、眠り、再び永遠の悟りに向かい、どのような足跡で肉体の終りに近づいて行くのかという記録を残して行こうと思うと同時に、より肉体をクリアリングし軽くしてゆく事に興味があり、やがては自身の意志でそこを去る事ができるようになるものなのか・・・興味津々の日々です。


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