多摩爺の「時のつれづれ(長月の10)」
敬老の日
今年3歳になった孫娘から、初めてお爺ちゃんと呼ばれたのは、
65歳になった、昨年のことだった。
それは、孫と一緒にソファに座り、ビデオ(アンパンマン)を見ていたときだった。
突然女房から声をかけられ、立ち上がろうとした時、
ついいつもの癖で腰に手をやり「痛たたた・・・」と言った瞬間
「お爺ちゃん、どこが痛いんですか?」と、孫娘が声をかけてくれた。
驚いたのなんのって・・・ いつ、そんな言葉を覚えたのかもあるが、
その優しい語り口に目が点になっていた。
孫娘は、最初から私のことを「ジイジ」と呼ぶことなく、「お爺ちゃん」と呼んでくれている。
おそらく、息子夫婦がそのように言わせようとしたんだと思うが、
これがけっこう耳触りが良くて、嬉しいし・・・ とっても、気持ちが良い。
日に日に言葉を覚え、会う度に成長を感じるが、いまのところ乱暴な言葉を使うことはない。
いずれは、そういった日が来るのだろうが、それもまた、一つの楽しみであったりして、
改めて・・・ 息子たち夫婦の生活模様を垣間見たような気がするとともに、
いろいろ考えながら、言葉を教え、躾をしてくれてることに感謝したい。
「敬老の日」が9月15日から、9月の第三月曜日に変更になって、
ずいぶん経ったような気がするが、
ふと、我に返ると・・・ 知らず知らずのうちに、自分もその対象者になっていた。
ネットのアンケートによれば、「敬老の日」の対象者に60代は早いという声が大多数だというが、
それは、誰からそう呼ばれ、そういった扱いを受けるかであって、
孫から「お爺ちゃん」と呼ばれることに・・・ なんら違和感はないし、むしろ嬉しい限りである。
そうやって、私の両親も、女房の両親も、歳を重ねて行ったのかと思えば、
途端に田舎で暮らす、親の声が聞きたくなるから、
私も人の親であり、人の子なんだと思うし・・・ 歳を取ったんだなぁと感慨深い。
朝メシ食って、少し落ち着いたら、田舎に電話をしてみようと思う。
一昨日も電話したんだけど、今年はコロナ禍で帰省することができず寂しい思いをさせたから、
なぜか、むしょうに声が聞きたくなってしまった。
「敬老の日」は・・・ やっぱり、特別な日だから、
あと何年続くか分からないが、毎回、毎回、その声を耳に刻んでおきたいと思う。
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